昨年『PASSION』がコンペティションに正式出品された東京フィルメックスのプログラム・ディレクター市山尚三さんと、CO2映画祭の企画ディレクター西尾孔志さんに、「進化する才能、ここに注目!」のコメントをいただきました。
濱口竜介監督の『PASSION』はプロの俳優を起用しているとはいえ、その製作規模は後者の自主制作作品に近いと言える。だが、そのクオリティは、他のアジアの作品と比較しても遜色ないと思えるものであった。5人の男女の人間関係をある限られた時間の中で描くというこの作品の世界自体は、それほど目新しいものではない。だが、ともすると安易な“映像美”に頼りがちな若手映画作家の作品が多い中、台詞と台詞のぶつかり合いから緊張感を作り上げ、映画を引っ張ってゆくこの作品のスタイルは、見ていて清々しくさえあった。しかも、そうやって台詞劇のように見せつつ、ところどころにハッとするようなカットがあるのだから、気が抜けない。まだ映画を見ていない方もいると思うので詳しくは言わないが、ラスト近く、明け方の横浜港近くを二人の登場人物が歩く場面に奇跡としか思えない素晴らしいショットが現れる(濱口監督によると、それは本当に奇跡的に撮れたショットだという)。例えそれが偶然に撮れたものだったにせよ、そのような奇跡的なショットを呼び寄せたという点そのものが、この映画作家が何かを持っていることの証明であるように思えてくる。
濱口竜介が既に国際的なレベルに立っていることは、もはや疑う余地もない。後は、彼が次にどのような作品で驚かせてくれるか、ひたすら待ちたいところである。
都市が、ある作家を想起させる事がある。例えばNYとジャームッシュ、パリとリヴェット、台北と楊徳昌、などなど。東京や大阪には今、誰か居るだろうか? でも名古屋には居た。佐藤良祐だ。
そう2005年、愛知万博で高揚する名古屋の空気を、華やかさとは逆の集団意識的な暴力として描き、その不穏さ・不気味さを暴き出して見せた『ワード・インザワールド』で、佐藤は国内の映画祭に登場した。猫背の痩身、だらりと両手を下げた「あしたのジョー」のノーガード戦法で会場に現れた佐藤は、今にも爆発しそうな殺気を周囲に放ち、人々にこう思わせた。あの噂は本当だったのだ…。
その後も佐藤は『漂流する生活』『一千光年』と立て続けに作品を発表。名古屋という都市の「曖昧さ」を寓話的に描きながら、ドキュメンタリー以上の生々しさを持つその作品群で、「名古屋の作家、佐藤良祐」の評価は確固たるものとなった。
ある日、大阪の映画祭「CO2」の事務所で、茶菓子をかじりながら私は思った。
「名古屋と大阪、どっちが強ぇ?」
早速、佐藤に打診すると同時に、大阪の野人にも連絡を取った。それが大阪アンダーグラウンド・ミュージックの至宝、「あふりらんぽ」。真っ赤なネグリジェを羽織った女の子二人が轟音グルーヴを生み出す必殺バンドと、「名古屋の人殺し」佐藤良祐のコラボレーション(戦い)。この正面衝突はヤバい!だが、戦い方においても成長していた佐藤は知略を駆使し、あふりらんぽを作品の中に封じ込めた。見事だよ、佐藤君。
さて『チャチャチャ』をご覧頂く上で一言注意をしておきたい。
佐藤は両腕のガードをだらりと下げて近づいてくるが、決して油断するなという事だ。
現在、CO2の運営、京都造形芸術大学講師、映画監督の3足の草鞋を履く。