22 監督たちの映画愛に圧倒される
2013年10月2日 / お知らせ

仙台短篇映画祭にとって二度目となる3つの制作作品は、9月21日に冨永監督、23日に入江・真利子両監督を迎えて上映され、映画祭のオープニングとフィナーレを飾った。
真利子監督作品の編集が終了したのは前日という、正に出来たての映画たちだ。
真利子哲也監督『宿木(やどりぎ)』、入江悠監督『狂人日記』、冨永昌敬監督『悪友の面影』の順で上映された3作品は、観客のみなさんにどう映ったのだろう。
両日ともに、各作品のスタッフやキャスト、仙台ロケでお世話になったお店の方、エキストラさんや撮影を手伝ってもらった学生さんたちがぞくぞくと駆け付けてくれた。皆、作品の完成を楽しみにしていたんだと実感することができた。

■真利子監督『宿木』のこと
映画祭一週間前、台風直前に撮影された真利子監督作品『宿木』には、多くの映画祭スタッフが関わった。映画祭に参加して1~2年の者がほとんどで、全てが初めての体験だったに違いない。自分たちが手伝ったシーンがどのように編集され、作品をかたちづくっているのかと、どきどきわくわくしていたと思う。物語としてスクリーンに映し出された様々なシーンを、彼らはどんな思いで観たのだろう。そのあたりの想いは、今後随時発表していく予定だ。私自身は、最終撮影日、大雨の中で黙々と撮影用の海鞘(ホヤ)をつくり続けたことが、もう一つの映画のように思い出された。
この作品上映に当たっては、とりわけ気になっていたことがある。主役を演じた佐々木雅仁君の反応だ。8歳の彼は、演技経験もないのに主役に抜擢された。見知らぬ大人たちに夜遅くまで囲まれ、不安でいっぱいだったと思う。撮影期間、たくさん泣いたのも知っていた。そんな雅仁君は、2回とも上映を観に来てくれた。23日には真利子監督との再会を喜び、撮影は楽しかったと言ってくれた。雅仁君のお母さんからも、この映画は家宝にしますと言っていただけた。関わった人たちが、大変な思いをしながらも楽しんでくれたということが、雅仁君のあの笑顔に集約されている気がした。彼が大きくなってこの映画を観たら、どんな感想を持つだろうか。何年か後の雅仁君に会って訊いてみたい。映画のよさは、何度でも繰り返し観られることにある。本作を、向こう何年も観られるような環境に何とか置いておきたい。そのためにどうすべきか、しっかり考えなければと思った。

■入江作品『狂人日記』のこと
入江監督作品として、本作は異色と言えるかもしれない。これまでの作品に比べ、様々な意味で暴力的で、男女の濃密な物語である。そんな本作に対する反応も相当に激しく、初日は怒って途中で帰った人がいたと聞いた。
この作品は、制作途中でラストの変更が行われていた。事前に受け取った脚本では、暴力描写が多いと思っていたのだが、出来上がってきた作品は、むしろ性描写が強烈だった。映画祭に関わる中で様々な映画に触れてきた私たちには表現のひとつと捉えられても、このような作品に接する機会が少ない人には衝撃的であり、拒絶反応を引き起こしてしまったのかもしれない。
私は、どの作品に対しても、何かあれば頭を下げようと思っていた。監督たちが身を削ってつくった作品をきちんと上映し、監督たちの思いをたくさんの人に観てもらいたい。そのために役立つならば、頭を下げるくらい何でもない。そういう覚悟はずっと持ち続けていた。(結果的には、幸いにもそういった事態には至らなかったが。)そんなことを思い起こすほど、この作品は人を選ぶと感じたし、強烈な印象があった。
ラストの変更とは、こういうことだ。当初は、狂人に拉致されていた女性が消え、それまで歪んだかたちで彼女に愛情を与えていた狂人は安堵する、という終わり方だった。ところが完成作では、狂人は女に返り討ちに遭って命を落とす。そして、彼女は狂人の魂を受け継いでいく。
後日、入江監督から、変更理由について次のような思いがあったと知らされた。
『仙台に入って撮影をしているうちに、映画のラストについて考えが変わった。
主人公の「狂人」がそれまでとってきた行いに対して、どういう結末がありえるだろうか。そして「狂人」と関わってしまった「女」にとって、どういう結末がふさわしいだろうか。脚本は映画の出発点であるとともに、映画の設計図である。
撮影現場に入って変更を余儀なくされることもあるし、天候など諸条件によって左右されることもある。同時に、撮影を進めていくうちに、もっと映画が充実するために脚本を変更した方が良いこともある。仙台での撮影中に感じた違和感の原因を考え、もっとこの映画にふさわしい結末を、と考えた末に、「狂人」「女」の最後を変更することにした。』
23日には、本作に関わったスタッフの皆さんが駆けつけてくれた。ロケには来ていなかったが東京で編集に関わった整音の山本タカアキさんも来てくれて、とても嬉しかった。主役を演じた水澤紳吾さんの、震災に触れた舞台あいさつは、特に印象に残った。真利子監督作品も冨永監督作品も、もちろん入江監督作品も、震災が少なからず影響を及ぼしていたと思う。2年半経ち、仙台市内は震災の傷跡はあまりなくなっているように思える。けれども、本当にそうなのか。中にいる私たちには分からない、ある種不穏な空気を、3人の監督は敏感に感じ取っていたのかもしれない。

■冨永監督『悪友の面影』のこと
2011年以降、冨永監督の新作を映画祭で上映するたび、震災は常に付いて回ってきた。2011年に『311明日』の中の作品を撮影している際、とあるインタビューに「今(当時)の自分に震災の映画を撮る等おこがましいと思う。今は出来ない。ただいずれはその事もやらなくてはと思う。撮り続ける事で、近づいていけるようになっていきたい」という内容の発言をしていた。
そんなこともあってか、冨永監督の『悪友の面影』には、震災で亡くなった人の話が出てくる。とはいえ撮影中は、とにかくテンポもよくて楽しく、終始和やかな雰囲気の中で進行している印象があった。冨永監督ならではのシニカルでコミカルな演出から描き出されたシビアな内容は、私自身、観ていていろいろなことを思い出す結果となった。監督も最近親しい人が何人か亡くなっており、そのことも踏まえてこの作品をつくろうと思ったと話してくれた。
本作は、決して深刻に留まることなく笑いもあり、それでも心にズシンとくる。初日の監督トークには、ロケに協力して下さった方々がたくさんいらっしゃり、またこのような機会があれば声をかけてほしいとも言われた。
今回のことで、仙台で映画を作ろうという若者が少しでも増え、今回のことが映画に触れるきっかけになってくれたなら本当に嬉しい。だからこそ、もう少し監督トークの時間を取ることができばと思った。もっと監督からいろいろ話を聞きたかった。


■制作のことなど
振り返ると、3人の監督とも作品について話す時間が本当に少なかった。もっと時間を取るようにプログラムが組めなかったことが悔やまれる。
低予算、限られた時間、そして仙台に来て撮影をするというとんでもない条件付きの制作を引き受けてくれた3人の監督には、どれだけ感謝の気持ちを述べても足りない。
それなのに、映画祭側の体制の至らなさで、監督やスタッフの方々にたくさんの迷惑をかけ、戸惑わせてしまった。果たしてこの時期、このタイミングでの制作はよかったのかという声もあった。昨年来制作をやってみようと言う声が映画祭内で出ていたところに、せんだい・宮城フィルムコミッション(FC)からのお話があり、私には今がその時、と思った。
新しいことをやってみると、いろいろなものが見える。いろいろなことも知った。もしこの先も制作を行っていくのであれば、今回のことをきちんと見直し、3人の監督及び関係者の方々の言葉に耳を傾けてその声を生かし、より良い環境が提供できる映画祭でありたいと強く思う。13年かけて培ってきた信頼を大切に、そこに甘えることなく真摯に向き合っていく。そうしなければ、この先、映画祭は大切な財産をただ食いつぶしていきかねない。これは、制作のみならず、仙台短篇映画祭のこれからをも問われているということだ。今年見えた様々なことを生かしてこそ、次があるし、次にいけるのだと思う。

仙台短篇映画祭実行委員 菅原睦子

21 3つの作品のこと
2013年9月2日 / お知らせ

9月21日からの仙台短篇映画祭2013で上映される予定(なぜ予定かというと18日昼現在まだ1本も完成しておりません、届いていません。おおおおおおーーーいだいじょうぶなのかあああああと、内心穏やかではありません)の作品については、当日無料配布する映画祭のフリーペーパーにその内容が分かるものを掲載しています。ただ来られない方がいたり、どんな作品か知りたいという人に、同内容を掲載します。というのも、フリペの締切が9月10日だったため、締切後に撮影された真利子監督作品にお手伝いいただいた方の名前が間に合わなかったり、ロケ地が一部漏れていたりしました。
こちらでフォローさせていただければと思います。
監督たちが寄せてくれた映画に対する思いも一緒に読んでいただき、ぜひ、当日の上映を観に来ていただければと思います。
じっくり読んで味わっていただきまだ見ぬ映画に思いを巡らしていてもらいたいなと思ったからです。

監督・脚本:冨永昌敬
撮影:市来聖史
録音:堀切基和
編集:松尾圭太
制作:仙台短篇映画祭
制作担当:菅原睦子(仙台短篇映画祭)
制作補:高橋惠子、渡辺剛、日野貴之(仙台短篇映画祭)
協力:せんだい・宮城フィルムコミッション
メイキング:早川岳大、千葉すみれ(尚絅学院大学)
出演:橋野純平、阿久沢麗加(東京)、渡邊琢磨、伏谷淳一、二郷誠、小野寺貴志、後藤重雄、梅津文代、村上元樹&佐々木尚人(通りがかりの高校生)、Bar Road 二郷幸子・好子・愛さん、おでん三吉のみなさん、篠原美弥、千葉加央里、映画祭スタッフ&その友人たち(仙台)
声の出演:笠木泉、小野寺貴志、高橋惠子
ロケ地協力:のんびり酒場ニコル、Bar Road、おでん三吉、壱弐参横丁、元鍛冶丁公園、一番町買い物公園、定禅寺通、米ヶ袋渡邊邸
制作協力:尚絅学院大学
機材協力:せんだいメディアテーク

○作品内容
仙台の夜の街で携帯電話を紛失した五郎は、その翌日、女友達の類子とともに心当たりを訪ね歩く。しかし携帯は見つからず、最後に立ち寄ったのが「先輩」の店であったことを思い出した五郎はその先輩に連絡をとろうとするも、肝心の携帯が手元にないので番号がわからない。やむをえず五郎は卒業アルバムを開き、先輩の番号を知る旧友の順也の実家に訊ねてみる。すると思いもよらず、順也が震災の日から行方不明となっていたことを知るのだった。
○監督コメント
ある友人の葬式に出かけました。生前の彼とは真剣に語り合ったことなど一度もなくて、ただアホな話をするだけの仲でしたので、そんな人に死という人生の大局面が訪れたことがにわかに理解できませんでした。
しかし式場で、彼にそっくりなお兄さんが献花を終えた参列者に声をかけてまわっているのを見たとたん、僕は妙な感慨にみまわれました。彼には二度と会えないけれど、姿かたちのよく似た兄貴が彼の永遠の不在をカバーしてくれている。そう見えて胸が熱くなって、彼のその気のいい兄貴と何かの機会にまた会えるかもしれないことが楽しみになってきて、そして、あいつは愉快なやつだった、馬鹿だった、むっつりスケベだったなどと、生前の彼の人柄を「遠慮なく」思い出せるようになったのです。死というものに付与された一律の重みから、故人の面影が解放されたといった具合でしょうか。
そのような光景が、どの街にもあるはずです。


『狂人日記』
監督・脚本:入江悠
撮影:今西真基
録音:高島良太
メイク:寺沢ルミ
制作(東京):佐藤圭一朗
制作:仙台短篇映画祭
制作担当:菅原睦子(仙台短篇映画祭)
制作補:高橋惠子、渡辺剛、日野貴之、相原洋(仙台短篇映画祭)
協力:せんだい・宮城フィルムコミッション
メイキング:鈴木竜也、芳賀脩(東北芸術工科大学)
出演:水澤紳吾、山口遥(東京)、相馬洋一、堀籠正弘、三浦宏、伊藤祐一、黒崎浩矢、菊地貴公、青田勝一、鈴木学、畠山桃佳、映画祭スタッフ&その友人たち(仙台)
ロケ地協力:三井アウトレットパーク仙台港、ファミリーショップ
サケン、MCS(蒲生のスクラップ工場)、文化横丁、仙台市八木山動物公園、大橋、広瀬川河川敷
制作協力:MCS、株式会社相馬総業(軽トラ貸出)、仙台市交通局(バス停の貸出)、日野家、池田家(宿泊)、日野家のご近所ご友人の方々(食事)、東北芸術工科大学仙台スクール
機材協力:せんだいメディアテーク
○作品内容
仙台の町をひとりの男が放浪する。
男の手元には、大きなスーツケース。
果たして男が見ているのは幻想か、現実か。
仙台に留学経験のある魯迅の短編小説にインスパイアされ、 タイトルも「狂人日記」とした。
○監督コメント
都市や町を撮ろうと思うと、僕はどうしても、自分の過去の経験や苦い記憶に引っ張られる。
かつて埼玉の地元で悶々としていた時期のこと、妄想ばかりを繰り返して一歩も動けなかった時のこと。
それは僕だけの個人的な妄想かもしれないけど、町にはそういう無数の妄想が溢れかえっているはず。それは誰にも否定できないし、肯定もできない。

『宿木』
監督:真利子哲也
脚本:守屋文雄
撮影:佐々木康之
録音:高田伸也
助監督:志子田勇
制作:仙台短篇映画祭
制作担当:菅原睦子(仙台短篇映画祭)
制作補:渡辺剛、日野貴之(仙台短篇映画祭)
協力:せんだい・宮城フィルムコミッション
メイキング:早川岳大、我妻若菜、川村はるか(尚絅学院大学)
出演:岸建太朗、守屋文雄(東京)、佐々木雅仁、和田かおり、和田詠介、和田健太郎、映画祭スタッフ&その友人たち(仙台)
ロケ地協力:卸町、仙台卸商センター、ENEOS Dr.Drive仙台卸町店、東北工業大学長町キャンパス、守屋邸、日野邸
制作協力:株式会社ヤマナカ(海鞘)、サンフェスタ倉庫、猿渡学(東北工業大学)、角田洋美(衣装)、吉田文恵、村田怜央、高野裕之、鈴木淑恵、水澤愛(海鞘工作作業ほか)、佐々木家のみなさま、和田家のみなさま、尚絅学院大学
海鞘制作:岸浪清史(造形工房プラスアップ)
機材協力:仙台演劇工房10-box、前野健一、せんだいメディアテーク

○作品内容
お父さんが電話で声を荒げて話していることで目を覚ましたユキオ(8歳)は、昨晩食べることができなかったホヤのことで神様を怒らせてしまったと思っている。お父さんはユキオを車に乗せて夜の仙台の街を猛スピードで走っていく。ユキオはきっとどこか遠くに捨てられると思って怖くて仕方ない。謝ろうと思って隠し持ってきたホヤは、グロテスクでどうしても食べられない。何も言わずにお父さんは車の中にユキオを置いて外に出て行ってしまい、車内に残されたユキオが見たものは、紛れもなく神の怒りだった。(暫定)
○監督コメント
ここ十年近く、仙台短篇映画祭にはお世話になっているものの、この度はじめて仙台で制作する機会をいただき、まず何も知らない仙台の街で何をすればいいのだろうと思いました。東京からできることは限られている、それでもせっかくのこの機会を楽しんでみようというのがはじまりです。早速、仙台市出身の守屋文雄さんに脚本を書いてもらって、仙台でしか描けない風景、出来事を考えました。限られた時間と予算ながら、可能なだけ仙台に足を運んで地元の人たちと映画を制作する。今(2013年8月20日現在)、制作に向けての準備の真っ只中で何がどうなるものか、やってみないとわかりませんが、撮影が映画祭開催のちょうど一週間前なので、まさに出来立ての映画をお届けすることになります。そういった臨場感も含め、今回だけの醍醐味を楽しみにしていただけたら幸いです。

20 始まったものは終わる、そしてまた始まる
2013年9月18日 / お知らせ

映画制作を立ち上げたとき、こんなに追い込まれるとは思ってもみなかった。
勿論大変な事をしているという覚悟は常にあったのだけれど、各監督のロケが始まる前のあの苦しい重圧感(自分がつくる訳じゃないのに)で、眠れなくなって何度もスケジュールを確認していたり、無事終わるのかとか、監督に嫌な思いをさせていなかったろうかとか、思い悩んで自滅しそうになったりを繰り返してばかりいた。みんなの前では平気な顔してへらへらしていたけれど内心は、とにかく怖かった。
映画制作にはたくさんの人が関わっている。まずそれが怖かった。たくさんの人たちを統率する力なんてまずないもの。自分の器の大きさなんて知っている訳で、どうやって邪魔にならないように、迷惑をかけないように、何か言われたらどう謝ろうか、そんな事ばかり考えていたように思う。
今回は映画祭スタッフの応援を始め、FCお三方の素晴らしい動きと決断力、そして、冨永監督、入江監督、真利子監督の各スタッフのみなさんの映画をつくる強い姿勢に引っ張っていってもらったように思うのだ。全ての時間に立ち合えた訳ではなかったが、現場に行く度、少しずつ何かが吹っ切れていった。
始めたものには終りが必ずある。絶対出来上がる。
そう言い聞かせる日々を約40日過ごし、16日に一端終わりを向かえた。
ちゃんと終われた。
作品を観た訳ではないからまだ終わってはいないのだけれど(本当はこれからが始まりなのだけれど)、それでもこの制作は仙台短篇映画祭にとっても、関わってくれた大学生のみなさんにとっても、新しい映画のはじまりに手をかけた瞬間だと思えた。少なくても自分は制作というものを何らかのかたちで続けたいと思っている。あんなに苦しい思いをしたのにね。なんでだろうかね。

19 大泉さんありがとうございました
2013年9月18日 / お知らせ

9月17日の産經新聞に制作のことが掲載されました。記事を書いてくださったのは産經新聞社編集局 東北総局の記者 大泉晋之助さんです。
早くから制作の方に興味を持っていただき、ロケハンの際に同行したり、撮影現場にも足を運んでくれました。 入江監督にも面識があり、今回冨永監督がロケをしたBa r Roadの方々とも親交があるということで、一緒に制作を楽しんでいただき、応援していただきました。 17日に会社に行ったら、営業さんから「新聞に載っていたね」と言われ、あわてて新聞を見ました。すごく大きな記事でした。映画祭始まって以来の記事の大きさではないだろうか。そしてその内容もまた、大きな映画愛が溢れていて、スタッフは本当に喜んでいました。本当にありがとうございました。
以下にその文章を掲載いたします。
ネットの方でも読む事ができますが、どんどん更新されていくと思うので、ここにとどめておきたいと思います。

「仙台の愛」テーマ 3監督が短編映画 今しか撮れない風景、後世に
産経新聞 9月17日(火)7時55分配信

■21日から上映  
東日本大震災後の仙台の何気ない風景を記録に残そうと、気鋭の映画監督3人が短編映画を制作した。今年で13年目の「仙台短篇映画祭」(21~23日)が「せんだい・宮城フィルムコミッション」と共同企画したもので、「新しい日常 仙台ラブストーリー(愛のある風景)」がテーマ。同映画祭実行委員会事務局の菅原睦子さんは「仙台には震災で変わったもの、変わらないものが混在している。今でなければ撮れない風景を後世に残していきたい」と話している。(大泉晋之助)
             
参加しているのは、冨永昌敬(まさのり)、入江悠、真利子(まりこ)哲也の3氏。いずれもこれまで同映画祭に参加してきたつながりの深い監督たちだ。

 菅原さんは「震災を経て、ぼろぼろになった被災地がクローズアップされているが、変わらない日常もある。復興とともに開発が進み、数年後にはなくなる建物も多い。記録しておくべき風景があると感じた」と企画の意図を語る。あえて震災を強調せず、「愛」をテーマにした。「普遍性のある映画はいつまでも人々の記憶に残る。その中で震災後を感じてほしい」。これまで同映画祭に携わり、多くの映画を見てきた菅原さんが感じてきたことだ。

 今年7月から撮影場所の下見を行うロケハンが始まり、制作が本格的にスタートした。3作品とも10~15分程度になる見込みで、内容も三者三様。撮影場所も、仙台市民にはなじみ深い広瀬川周辺や飲食店街の国分町、八木山動物公園、レトロな雰囲気を残す壱弐参(いろは)横丁など多様だ。

 8月上旬にロケハンを行った入江監督は、街並みを眺めながら「震災から2年半しかたっていないのに、皆さんは普通に生活している」と感じたという。入江監督によると各地に映画祭は数多くあるが、「映画祭が直接、映画制作を依頼することはあまりないと思う。ここの映画祭ならやりかねないですが」と笑う。

 冨永監督は撮影場所に国分町の老舗バーを選択。バーテンダーら店のスタッフも総出の撮影では、終始、現場に笑顔が浮かんでいた。参加したスタッフの一人は「自分が映画の中にいるなんて信じられない。緊張しました」と話したが、撮影終盤には役者の顔になっていた。真利子監督の作品は、宮城ならではのある特産品が鍵になる物語になりそうだ。

 ただ、実行委員会にとっては“生みの苦しみ”もある。愛がテーマの生々しい人間模様が撮影対象になるため、中身によっては猥雑(わいざつ)で暴力的と捉えられ、イメージ悪化を嫌がる撮影候補地との交渉がうまくいかないこともある。
 
菅原さんは「3作品が出来上がるまで安心はできませんが、どれも面白いものになると思います」と手応えを感じている。毎年、同様の企画で短編映画制作を続け、将来的には「仙台の映像アーカイブ化」ももくろんでいる。

18 クライマックスご一緒に!!!
2013年9月18日 / お知らせ

9月13日
いよいよ真利子哲也監督の撮影が始まりました。真利子監督の作品は、限られた時間の中でカット数も多く、とにかく取りこぼしなくやらなくてはなりません。初日は長命ヶ丘から始まりましたが、私が参加したのはその後の東北工業大学長町キャンパスの道路シーンから。20時開始で待っていたところに長命ヶ丘のシーンが押しているとの連絡が入り、始まったのは21時をまわってからでした。工大は以前映画祭でお世話になった猿渡先生の力添えで24時までのロケです。今回の主役は小学生の佐々木雅仁君。普段は21時には就寝の雅仁君は、工大についた時にはすでに車の中で眠っていました。雅仁君は演技の経験がないいわゆる素人さんです。22時から始まったロケでは初日の緊張とで、寝起きのつらさとで移動中に集中が切れてしまいました。子どもと動物には勝てない!の説通り、みんなで雅仁君の復活を待ちました。お父さん役の岸建太朗さんが本当のお父さんの様になだめます。FCの武藤さんの機転で、仮面ライダーの話や歌で気持ちがほぐれてきましたが、工大の使用時間を越えてしまい、猿渡先生に1時間延長のお願いをしてさくさくぱきぱき、この日の撮影を行いました。工大から見える夜の街は、地上に降る星の様に見えました。

9月14日
今日は14時からこの映画の脚本を担当してくれた守屋さんの家を使って室内シーンのロケです。守屋邸に着くと明日使う海鞘の殻が大量に届いていました。
海鞘は最初、ゴムボールの様にぶくっとふくらんでいるのですが中身を取り出すと一気に殻はしぼみ小さくなってしまいます。明日はこの海鞘の殻を使って、雨の様に降らせるシーンがあります。殻の中に新聞紙を詰めて輪ゴムでかたちを作るそんな作業が待ち構えているのです。
守屋邸でのシーンは全て終わらず、しかし夜から時間限定でお願いしている卸町のガソリンスタンドでのシーンがあります。撮りきれなかった2シーンを明日の午前中にまわし、19時からの撮影に移動しました。ガソリンスタンドシーンは一般の車も入ってくる中での撮影です。タイミングをはかって、テイクを重ねました。ENEOS Dr.Drive仙台卸町店のみなさまありがとうございました。
雅仁君も今日は元気で、私の知り合いで造形をしている岸浪さんがつくってくれたラテックス製海鞘を持って楽しそうでした。
本日の撮影は23時終了。23時が早いと感じるのはもう感覚が麻痺してきているのかもしれません。
明日は本当に最後のロケになります。天気予報は夜から雨です。しかも台風が来ているようで、とにかく荒れる最後になるかもと、心配しながらの帰宅でした。 

9月15日
天気予報は当たらないもので朝から雨でした。卸商センターにある倉庫に向かう8時30分の待ち合わせの時点でもう雨。やむ気配が感じられず、本日クライマックスの海鞘のシーンは、倉庫内になるのかなという気配です。 本日最初の作業は、スタッフと今回助監督を担当している志子田さんが声をかけた2人、今回撮影に協力してくれている尚絅大学の早川君、昨日からお手伝いいただいている守屋さんの友人さんとFCの3人の総勢12人で海鞘の工作です。およそ1000個の海鞘づくりを行いました。作った海鞘の降らし方をいろいろ考え試した結果、人海戦術、「手で放る」に決定。その間雨はずっと降りっ放しです。なんだか私は相米監督の『台風クラブ』を思い出しながら黙々と作業をしました。海鞘の作業が終わる頃外は集中豪雨で目の前の道が川の様になり、警察車が道路閉鎖を叫んでいる中、15時から卸町サンフェスタで病院シーンの撮影。スタッフの伊藤の知り合いで、病院シーンに登場の和田さんご家族が私生児を抱いて登場。伊藤も元映画祭委員長の吉田さんとともに看護師役で出演です。
病院シーンが終わる頃、雨がやんできました。川のようだった道の水もいつの間にか引いていました。「映画の神様がいる」そんな気持ちになりました。 20時、いよいよ車めがけて海鞘を大量に降らすシーンの準備です。
その前に雅仁君を泣かせるシーンを撮らなくては行けません。追い込んで泣いてもらうのです。雅仁君には過酷なシーンの撮影です。どう声をかけていいのか、撮り終えお母さんの腕の中で泣きじゃくる雅仁君にはごめんねという気持ちでいっぱいになりました。いろんなことをさせて、それにずっとつきあってくれてありがとうね。もう少しで終わるからね。
海鞘を降らせると文字で描いてもなんのこっちゃ?と思いますが、そこは当日出来上がった作品を見ていただければと思います。(5時間近い作業が一瞬ではじけるのですよ)
夕方から更に6人が加わり、今回の3作品の中で最大人数での撮影です。
さっきまでの雨が嘘のように、月が出ている中、卸商センターの駐車場にイントレや脚立を運び込み、ポジションを決め、全員気持ちを合わせて、海鞘を降らせました。
こんな時間なのに、みんな夜型なのかと思うほど、元気で楽しそうでした。
ロケの最後のシーンはお父さんに手を引かれ病院に向かう雅仁君のシーンでした。クランクアップの声が響き、みんな疲れていたと思うのに、なかなか現場を去り難い気持ちで、後片付けの後、おのおの帰路に着きました。 本当にお疲れさまでした

おまけ
この後台風がやってきて、翌朝目が覚めると強風と雨。本当にあの時間だけが映画のためにちょっと誰かがくれた時間だったように思いました。誰かが観ていたのだと思いました。

第一稿脚本
第一稿脚本
17 雨のち晴れ 入江組撮影報告
2013年9月12日 / お知らせ

9月4日
この日仕事で、全く立ち合えずで終わりました。
この日はロケハンと、蒲生の方での撮影予定。
ロケハンと合流したスタッフからの報告だと、ロケハン無事終了の後、スクラップ工場での撮影から始まり、22時少し前にファミリーショップ・サケン(仙台市宮城野区中野寺前)での撮影でこの日はアップとのことでした。
この間、明日の文化横丁での撮影で出演のサラリーマン役の方々への連絡を行う。昨日まで横丁での撮影が出来るかどうかが危ぶまれていましたが、無事OKをいただき、集合時間場所を共有しました。
監督一行が民泊先に辿り着いたとの報告があったのは24時すぎでした。

9月5日
この日も朝から蒲生で撮影。雨です。予定がどのくらい進められるか心配です。この日私は20時過ぎからの文化横丁から参加です。
以前ロケハンで見たあのスクラップ工場の風景がどのようなショットで切り取られているのかは完成まで観る事が出来ませんが、それは完成した時の楽しみに取っておきます。
三井アウトレットパークの観覧車は雨で断念、明日の夜にまわす事になりました。
21時からの文化横丁の撮影前に、今度は明日昼に撮影のバス停前で水澤紳吾さんに絡まれるタバコの男探しです。予定していた人がでられなくなったとの事で、知人にお願いして人を捜してもらいました。またこの時点でやはり明日河原で撮影の際に出てもらう若いカップルの女性が見つからず、こちらも同時進行で人を捜しました。サラリーマンの方々は割とすんなり見つかったのですが、どうも映画祭スタッフ、10代の若い女子には縁がない?のか、結構難航。タバコ男とカップル女性が決まったのは、文化横丁の撮影直前でした。
文化横丁での撮影で、出演の山口遥さんにご挨拶。サンモール一番町のベンチでメイクをしていたら、たくさんのご婦人方が興味をもたれたようで、山口さんを取りかこみあれやこれやと話しかけていました。ご婦人方楽しそうでした。撮影が始まる頃には雨もやんでくれました。
文化横丁のサラリーマン役には委員長や映画祭スタッフも混じっての撮影です。6名の方々が参加してくれましたが、なかなか皆役者さんです。飲んでもいないのに見事な酔っぱらいぶりで、入江監督の希望に応えようと何度も繰り返されるシーンを、ずっと高いテンションを保ってやり遂げました。
文化横丁の灯りは23時くらいに消えていきますが、お店の方々のご好意で、営業時間が終わっても表の灯りをそのままにしてくれたりと、温かく見守っていただきました。それにしてもキムタクが来てるの?とか不思議な話に広まっていて、尾ひれのつき方に苦笑いしました。 この日は25時終了。民泊の池田家。日野家、遅い時間になってしまいましたが今日もよろしくお願いします。 明日は6時から八木山動物公園での撮影です。眠いとか疲れたとか言っていられません。監督たちの方がよっぽど疲れているはずです。

9月6日
八木山動物公園での撮影は9時開園前までの3時間の予定で始まりました。
猿山の前での撮影に加え、猿山の中での撮影もさせていただきました。動物園のスタッフの方々の協力に感謝です。
撮影がちょっと延びて開園後も撮影。平日の動物園は小学生の団体がたくさんきます。撮影していた猿山の前にはレッサーパンダのコーナーもあって、小学生のみなさん、もうちょっとしたらレッサーパンダも猿山も、ゆっくりみられるからねと心で詫びながら、10時過ぎに撮影が終了。
次は広瀬川と大橋の撮影です。昨日までの雨で河川の増水やよどみ加減が気になりましたが、昨日と打って変わった夏のような陽射しで、なんとか大丈夫でした。昨日急遽決定したバス停のタバコ男と、カップル女子役の方々も加わって、おのおののシーンのロケが無事終わりました。ちなみにバス停は交通局から本物のバス停を借りました。「臨時」との表記のバス停を道沿いに立てての撮影。まさか本当にバスは止まらないよね。ちょっとドキドキしながらの撮影でした。
日野家の母とそのご近所さんがお昼ご飯を持たせてくれたりとロケは本当にたくさんの人に支えられながら行われます。どんなに小さな作品でも何十人の人に支えられながら作品が作られています。ちゃんとやり遂げないとなあと改めて思うのでした。
午後からは一番時間をかけたいと入江監督が話していた河原でのシーンです。水澤さんと山口さんのバトルです。暴力的なシーンの撮影です。スタッフも最小限で、立ち合うかたちになりました。監督たちも河川の中に足を踏み入れ撮影場所を確認する等、皆身体を張っての撮影です。
河原に声だけが響きます。水の跳ねる音がします。緊張しました。
日の陰りとともに終わった後の2人はずぶぬれで、そのシーンの激しさをみた思いがしました。
河原のシーンを撮り終え、休む間もなく昨日の雨で撮影が出来なかった三井の観覧車の撮影に。観覧車の最終搭乗時間は19時30分までです。なんとか間に合い撮影終了!!と思っていたら、撮り切れていないシーンが2シーンあり引き続きその撮影が近くの駐車場で始まりました。日中暑さはどこに行ったとばかり、海が近い事もあってかかなり冷えてきました。半袖は失敗だ!と震えながらの撮影。おかげさまで眠気はなく、シーンを撮り終えクランクアップしたのは26時でした。
入江監督たちはこの後東京に帰るのかと思うと、事故にあったりしないようにと願うばかり。ロケが終わったら美味しいものを食べようという事も果たせず、なんだか申し訳ない気持ちになってしまいました。
本当にお疲れ様でした。そして本当にありがとうございました。
21日どんな作品があがってくるのか、心待ちにしながら、水澤さんを実家に送ながら家路に向かいました。

第一稿脚本
第一稿脚本
16 入江悠監督班が動きます
2013年9月4日 / お知らせ

台風が気になる中、いよいよ入江悠監督の撮影が始まります。
4日に現地入り、まずは蒲生の方での撮影が行われます。ここにはスクラップ工場が有り、震災の後をまだ色濃く残しています。その風景をロケハンで見て、そこから始まったと思われる入江監督の物語は『狂人日記』。主演は仙台出身の水澤紳吾さんです。おそらくあまり映画を見られない方にはハードな内容で、ロケ地協力が得られない等場所の変更を余儀なくされる事もあって、今日現在でも場所及び時間の方はちょっとまだあやふやですが、大まかなスケジュールを紹介しておきます。

9月5日
7:00? 蒲生(スクラップ工場付近)
夜 時間未定(蒲生が終わり次第) 文化横丁

9月6日
7:00? 八木山動物公園
12:00? 広瀬川河川敷(大橋付近)※
※ ここでの撮影では女優さんの裸や、暴力的なシーンが含まれます。
きちんと届けを出しての撮影ですので、よろしくお願いします。

15 改めて考えてみる
2013年9月4日 / お知らせ

「暴力描写と女性の裸、その女性をスーツケースに入れて持ち運ぶのって、映画祭としてはどうですか?」と聞かれ「映画祭としては特に問題はないです」と答えた。
暴力シーンや犯罪などは、過去の映画にはいくつも描かれているものだが、あまり映画を観ていない人には刺激が強いのかなあと考えた。「愛のある映画」というテーマとも離れた印象があるのかとも思いながら、愛といってもいろいろなかたちがあるものだし、監督おのおのの解釈があって然りとも思うのだ。
たくさんの人たちと制作を行う難しさをちょっと感じながらも、それでも監督のつくるものを信じていこうと思う。このシナリオを読んでみれば、暴力や犯罪をクローズアップしてみてしまう事自体、この物語にとって何か違うように思う。胸が痛くなるような喪失感と再生が読み取れる。完成したものを観てもらって、ぜひたくさんの人たちの感想を聞いてみたいとも思う。
2011年に41人の監督たちが映画祭継続のためにつくってくれた『311明日』の試写をマスコミにみてもらった時も、暴力描写のある作品に対して、「被災者にこのようなものをみせていいのか」と言われ、険悪な感じになった事を思い出した。
ロケのお願いに行ってみて場所によっては、イメージアップに繋がるものにしか貸してもらえない所もあった。暴力的なものや、犯罪を示唆するものに対して、商店街のイメージを崩すものとして受け入れてもらえなかった。
震災後、街のPRに力を入れている商店街がほとんどで、それは当然のことと知り合いに言われた。2時間ドラマの殺人シーンにはいろんなところが貸してくれるのになあ、何が違うんだろうなあと、どうしたら作り手の思いを理解してもらえるのかと頭が痛くなった。

仙台の街で作ることをお願いした。ロケーションで見た仙台の街から、オリジナル作品を書いてくれた。そこにこそ、私たちが気づかない仙台を見つけてくれているようにも思うのだ。今回の入江監督のシナリオを読んで、震災後、まだそのままでいる場所のことを、私たちは本当に今、ちゃんと考えているかと問われているような気がした。
長編映画だとスポンサーや映画市場が絡むけれど、つくる側に自由があり、作家性をいかんなく発揮できるのが短篇映画の最大の魅力だと思う。その作家性を大事に考えてきたのが仙台短篇映画祭の持ち味の一つだとやってきた。
今回のようなかたちで映画制作を行うことで、いろいろ学んだことはある。助かったこと、大変なことが入り交じっているけれど、力のない、あまちゃんの自分にぶちあたりっぱなしの毎日だ。
私たちがつくっているのは今の映画だけれど、何十年も後まで見てもらえるものをつくっているんだと言い聞かせて、ショボさと弱さを奮い立たせながら、入江班、真利子班に向かわないと、と改めて思うのだ。

14 入江班のシナリオが届く
2013年8月28日 / お知らせ

冨永班撮影の最終日、入江班のシナリオとスケジュールが届きました。
撮影日は9月5日・6日の平日に決定。(6日しか休めそうもない、頭が痛いし、つらいです。)
主演は仙台出身で、入江監督の『SRサイタマのラッパー』や大森立嗣監督の『ぼっちゃん』に主演した水澤紳吾さんに決定。
作品のタイトルは『狂人日記』。
シナリオを読むと結構ハードな内容です。新たなる入江悠作品という気がしています。水澤さんが演じる主人公を想像すると今からゾクゾクします。
ロケハンに行った八木山動物高公園も使われるようで、あの時の職員さんの熱心さを思い出すと、何やら嬉しくなります。
ロケに使う、軽トラックがなかなか見つからず悪戦苦闘していますが、なんとか撮影までには見つけないと。誰か持っている人はいないものかな。
30日に打ち合わせ。もう次が動き出します。

13 冨永班撮影の日々
2013年8月28日 / お知らせ

8月25日(日)
13時からメディアテーク7階で打ち合わせ。 東京からは、冨永昌敬監督、スタッフは昨年も冨永監督と共に仙台に来てくれた市来聖史(撮影)、堀切基和(録音)、松尾圭太(助監督)の3人さんに、五郎役の橋野純平さん、類子役の阿久沢麗加さん。
尚絅学院大学総合人間科学部表現文化学科の学生で今回お手伝いいただく、早川岳大さん、千葉すみれさん、FC早坂さん、板橋さん、そして映画祭スタッフでスケジュールの確認をして、まずは、この日の現場の「のんびり居酒屋ニコル」へ。
『武闘派野郎』のイメージが強い橋野さんの普通さに驚くとともに、着替えてからのその変わりっぷりにも興味津々。役者さんのONOFFは本当にすごいです。
今回出演で台詞もあるニコルのマスターはちょっと緊張ぎみながら台詞を頭に入れています。急遽お願いした後藤重雄さん、見学にきた梅津文代さんも加わって、ロケスタート。
携帯をなくした五郎と類子が、昨日立ち寄った店を訪ね歩くというシーン。スタッフの伊藤が声をかけた高校生がエキストラに急遽参加する等、大胆な配役で進行。お酒の代わりに氷の入った水や、ビールの代わりにウーロン茶、ロケに何度も参加しているスタッフの高橋が気をきかせておつまみを用意、みんなの細かい配慮が行き届き、この日の撮影は18時で無事終了。
途中、一番町にある興和ビルに数名移動して明日夜に撮影する壱弐参横丁の俯瞰の撮影を行いました。
長い時間お店を提供してくださったニコルさん!ありがとうございました。今度ゆっくり飲みにいきますねー!!!!!

8月26日(月)
昨日、しばらく身を潜ませていた映画祭のスタッフと1年半ぶりに再会。映画制作に引っ張り出す。彼を車に乗せて本日最初のロケ地、米ケ袋の渡邊邸での撮影。ロケの最中またしてもまかないをするとは思わなかったが、以前11人分の食事を作った事を思うと7人分は許容範囲。こそこそ料理をする。
そこから国分町に移動。
昼からメディアテーク小川さんの同級生という事でお店を提供していただいた二郷愛さんの「Bar Road」でのロケスタート。今日は産經新聞社の大泉さんと、東北放送ウォッチン!プラスの山石さんも取材で参加。ロケでもなければバーになど出入りできないので、その雰囲気を味わう。ここは、二郷3代で40年以上続けている老舗中の老舗。従兄弟でバーテンダーの二郷誠さんにも役者として参加してもらいました。24時間営業のバーという設定。午前に家を提供してくれた、ミュージシャンの渡邊琢磨さんも怪しいバーテンダーで出演。何ともおかしな設定での撮影にちょっとニヤケてしまいました。
カクテルの代わりにアセロラドリンクなどで色付けする中、二郷家伯母の幸子さん、愛さんのお母さんの好子さんの二人はワインとウイスキーを。「どうせなら好きなものを飲みながら」とエキストラで参加してもらいました。
本日は国分町界隈を撮影するのですが結構時間の制約もあってばたばたと動きます。この後、元鍛冶町公園で冒頭シーンを撮影。公園にいるネコがロケなど存ぜずとゴロゴロしていました。(ちょっとだけネコになりたいなあ)
この後「おでん三吉」での撮影。ここは仙台でも有名なお店で何度かロケに使われていることもあって、親方さんはなれたもの。どうぞどうぞと、ロケの横で仕込みを普段通り行っていました。夕方そろそろお腹が減ってきた時間もあってか、みなさん三吉さんのおでんの香りの誘惑に必死に耐えて撮影終了。
休憩をした後、本日最後のロケ地、壱弐参横丁へ。
ここはうなぎの寝床のような細長い通りの両脇に飲食店や服飾雑貨等の小さなお店が並んでいる場所です。FC板橋さんのお店の方々へのご挨拶の素早さに感動してしまいました。仕事とはいえこれは才能だと思いました。
以前の映画祭スタッフも駆けつけてくれて、ロケを見守ります。
道路にレーンを敷いて撮影開始。狭い通りなので道ゆく人に、頭を下げながらの撮影。ちょっとお酒の入った人たちが、覗きながら通っていきました。
テイクを何度も重ねての撮影、無事の終了を願って祈るような気持ちで見続けました。予定時間を約1時間オーバー(しかしこのくらいは想定内)で2日目が終了。みなさま遅い時間までありがとうございました。
気がついたら朝におにぎりを食べただけで昼から何も食べていなかった事に気付きましたが、お腹の減りも忘れていました。
私は明日会社で最後まで見届ける事が出来ず、直接参加はここまで。明日の撮影を託してみなさんとお別れでした。

8月27日(火)
会社でロケの無事を祈りながら仕事。
この日は一番町買い物公園でのロケと定禅寺通りでの実景シーンです。
昼終了を目指してのロケ最終日。映画祭Facebookにその様子があがっていました。昼に「クランクアップしましたー」の文字を読み、ワーッ、ありがとうございましたーという気持ちになりました。
今日の撮影はどんなだったろうか。学生さん2人は今回の参加をどう思ってくれただろうか。冨永監督をはじめ、関わってくれた仙台のみなさま、心より感謝です。本当にありがとうございました。
出来上がりが楽しみです。たくさん観にきてもらえるように宣伝しなくては。
ところで監督この作品のタイトルって何ですかー?

第一稿脚本
第一稿脚本
12 冨永班、始まります!
2013年8月20日 / お知らせ

3監督の先陣を切って8月25日から27日、いよいよ冨永昌敬監督の撮影が始まります。お天気がちょい心配なのですが、限られた時間の中、どうか滞りなく無事済む事を願って臨みます。
主演は『311明日』の冨永作品『武闘派野郎』の武闘派野郎こと橋野純平さんを予定しています。彼のON OFFの姿にも注目ですよ。
仙台の街で映画を撮るという今回の制作での目的の一つに、みなさんに公開していくという事があります。街で映画を撮っている事、どんな風に撮影していくのかな?など、出来るかぎり情報を開示していきますので興味のある方はぜひその様子を見にきてください。
いろいろ規制は出ますが、そこは予めご了承ください。
また、スケジュールはその日の撮影の進みによって急遽変わる事もありますのでそこもご了承ください。
撮影予定です!
25日(日)
17:00?20:00終了目標
* 壱弐参横丁(興和ビル9Fからの俯瞰ショットあり)

26(月)
?21:00終了目標
* 国分町の公園(早朝・夜)
* おでん三吉(約2時間)
* BAR みち(約2時間)
* グランパレ前の路上(早朝・夜)

27日(火)
* のんびり酒場ニコル(約5時間)
* 定禅寺通(県民会館付近)

※『武闘派野郎』より左の頭に手ぬぐいが橋野純平さんです。

11 一人反省会
2013年8月20日 / お知らせ

各監督のロケハンもほぼ終わり(真利子監督は23日3度目のロケハン有り)、いよいよ撮影本番に向けてとなります。
ここまでたくさんの人に会い、たくさんの人たちと話をさせていただきました。
FCの皆さんはもちろんな事、冨永班ではおでん三吉の村田さん親子にRoadの二郷ファミリー、のんびり酒場ニコルの店主のニコさんに壱弐参横丁の加藤さん、荒井さん。入江班では休館日にも関わらず八木山動物公園を案内してくれた松本さんを始めとした職員のみなさん。真利子班では、加藤さんを始め子ども親子劇場のスタッフの方々とお子さんたち。10-boxの八巻さん、高橋さん。ラテックス海鞘を制作してくれる岸浪さん。先にも書いた海鞘の加工業の株式会社ヤマナカの高田さん。
それから機材や場所、衣装の情報収集及び提供してくれた友人知人たち。子どもさんや出演者のことで相談に乗ってくれ人たち。当日お手伝いいただく相談をさせてもらった尚絅、東北工業、東北芸術工科各大学の先生たちや学生のみなさん。撮影機材の協力ではメディアテークのストラータさん、映画祭のスタッフの親族に至るまで、とにかくもうすごい人数が関わってくれているのです。
勿論これからが本番でこの方々の厚意に応えていかねばと思うし、まだ始まっちゃいないと言われればその通りなのだが、自分の中で7月26日の真利子監督の最初のロケハンから3週間とちょっとしか過ぎていないのに、ものすごく時間が経っているような気がして、日にちの感覚がおかしくなってきている事に気付き、撮影が始まる前に一度前半の反省をしておかないと、と思った。
お手数をお掛けしています。時々めげたりして、無気力になったり、爆発したり、ムラッ気しょっちゅうで未熟で至らなくて申し訳ないです。
その分をみなさんに埋めていただいています。ありがとうございます!!!!
8月25日から9月15日の間仙台で映画撮影が3本行われます。
これからも、まだご迷惑をかける事、もう有り有りなのですが、変わらずのご協力よろしくお願いします。
本当にほんとにお願いします。

10 頭空っぽを試みるも。
2013年8月17日 / お知らせ

15日終戦の日、明日から会社が始まるので、今日だけは身体だけでなく頭も休めようと心に誓い、1.午前中から8月15日恒例の西公園散歩、2.午後からは友人家族と芝居のゲネプロ、3.それが終わったらブラピの映画。4.ビールを飲みにいくとの予定を立て、予定通りに動いてみていた。1と2は予定通り運び、さて18時から3を、その前にお茶でもと思っていたら、真利子監督からの電話。出ない訳には行きません。
内容を聴いて3以降に駒を進めるができなくなったと同時に急いで連絡しなくてはならないことが起こった。世の中はお盆休みであり、大学は夏休みである。しかし時間がない。話としてはスタジオ撮影を行いたいとの事で、いくつか候補が挙げられた。この中でちょっと躊躇する事があった。監督は作品をしっかり撮りたいと願っていることはもちろんもちろん、もちろんが300回くらい連なるくらい理解しているのだが……県外の場所が出てきた。
仙台の街で映画をつくる目的とした企画に県外のスタジオ、正直頭が痛くなった。電話で唸り続けた。お願いだからそれは勘弁とも思ったが、しかし聴かないで返事をしてはいけないと思い、かなり複雑な気持ちを抱え急いで自宅に帰り知り合いの先生に電話をした。
結果として条件的に難しくそこは使えないとの事であった。
その後、FCの早坂さんとも話をして、卸町の倉庫を候補としてあげてみた。写真で見るかぎりかなりいい感じではないだろうか。
つくってもらう側と、つくる側の温度差におそらく差はないのだ。先にある目的が違って来ているのかもしれないのかもと思った。
当然ビールなんぞも飲めないまま、この日が終わったのである。
部屋で本棚に寄りかかりながら、仙台の街で映画をつくるという意味をもう一度考えてみた。

09 遅ればせながら入江悠監督ロケハン報告
2013年8月17日 / お知らせ

お盆休みを挟み10日近く覚え書きに間があいてしまった。 8月12日に行われた入江悠監督のロケハン報告です。

前日急遽車でこちらに来るということになり、ロケ地のまわり方をあれこれ考えていた。
入江監督からの希望は、東北大学農学部、青葉城址、八木山動物公園、そして壱弐参横丁の4カ所。この日は産經新聞の大泉さんも参加で大所帯。1日でうまくまわらねばと思っていた矢先、お盆の帰省と道路での事故で、監督から1時間遅れとの連絡が入った。待ちの間大泉さんと、入江監督はどんな作品を取るのだろうかという話になり、場所を指定してきたのとカメラマンを含め3人連れでくるという事で、ある程度話ができていて、場所確認じゃないかなという話に及んでいたのだったが、13時に現れた入江監督から「まったくのノープラン」と告げられ汗がたら?、腰がクラっとしてしまった。
気を取り直して、上記の4カ所を順繰りにまわる。地元民なのに全く予期していなかったのが、この時期の青葉城址はめちゃくちゃ混んでいるということにびっくりした。車を止めるのにも一苦労、見ているより時間よりも車の出し入れに時間がかかったような気がした。
月曜日ということで八木山動物公園は休園日。貸し切り状態で1時間強、園内を見て回る。なぜかみなさん、猿山や、おさるさんの仲間に対してテンションがあがる事に気付く。それを知ってかチンパンジーがガラス越しにキックを浴びせてきた。それにしてもチンパンジーの大きさにびっくり。入江監督はカバも気に入っていたように見えた。
壱弐参横丁に向かう途中、広瀬川の河川敷にも立ち寄る。この時期は緑が美しく川沿いはなかなか絵になる。夕方にさしかかっていたので風も気持ちよかった。最後に壱弐参横丁のはずだったのだが、急遽宮城野のスクラップ工場にいく事になった。そこは一緒に来られたディレクターの方が以前関わった『重力ピエロ』の撮影で使った場所らしい。たくさん積み上げられたスクラップの山には震災の痕が見えて言葉が出なかった。その後仙台港をくるっとまわって、どういうわけか三井アウトレットパーク仙台の観覧車に乗る事になった。実は私は高所恐怖症である。おつきあいと勢いで乗ったのだが生きた心地がしない。入江監督がロケーションをして全く何も持ち帰れないようであれば、いっそ落っこちて楽になりたいなあとさえ思った。どうだったんだろうか入江監督。
なにか見えてきていただろうか。何か考えられただろうか。気に入った場所はあっただろうか。 メディアテークで機材の確認をして20時30分にお別れした。
今日は終わったら思いっきりビールを飲むぞと思っていたのだが、何となくそこまで気持ちがいかない。何も始まっていない感じで、夜の暗さを背負って帰ったのだった。
※写真は八木山動物公園の猿山&カバ、博物館近くの広瀬川、そしてスクラップの山です。

第一稿脚本
08 ナカヤマの高田です。
2013年8月17日 / お知らせ

07で書いたように、真利子監督が2度目のロケハンに来ていた日は、会社の仕事で動く事ができなかった。それでも9日夜からの「海鞘1000個問題」をどうしたら良いかという事で仕事をしながらも気が気ではなかった。海鞘の時期は8月中旬くらいまで。知り合いからのアドバイスで加工業者を当たってみてはどうかと言われ、昼休みに「ほや加工業者」で検索をしてみた。結構たくさん出てきたのだが、ここは直カンでここぞと思うところに思い切ってメールを出してみる事にした。2カ所にしぼってメール。しかし海鞘の殻を1000個欲しいのでというメールに海の頑固な男は応えてくれるものだろうか。ふざけるなとか言われるかもなあとの不安もありつつ送信。
百貨店で販売をしている地元の加工業者さんに直接聞いてみると、震災で根こそぎやられてしまい、種付けからやり直しているので今年は出ないと言われ、どこもそういった事を抱えているのではないかなと思い、時期も少し外れてきているし難しいかもしれないなあと思った。昨日の話で出たゴム手袋を丸めて海鞘モドキを作るとか、代用品を考えなくてはと思ってミーティングに向かっていると1本の着信があった。
「ナカヤマの高田です、メールを見ました」
昨日出したメールに、日曜日にも関わらず、電話をかけてくれた石巻にある株式会社ナカヤマの代表高田さんからの電話だった。詳しい話をと言われ話をしたところ、殻であれば廃棄するしかないので1000個譲れますと、さらには、いっても生ものなので使う直前まで会社の冷蔵庫で保管してくれるとの事。声が多分でっかくなっていたと思うのだが、嬉しくてありがたくてたまらなかった。
一つ解決。でも大きい一つが解決。映画の神様が久しぶりに降りてきた瞬間だった。
石巻市にある株式会社ヤマナカは従業員18名の魚介類販売業・食品加工業・食料品輸出入業の業者さんです。 URL http://www.yamanaka.co/

07 真利子監督、端から端まで。
2013年8月17日 / お知らせ

9日10日は仕事で同行不可能だったため、一部同行者に聞いての報告です。

前日夜に来ていた真利子監督、9日の動きは朝から卸町。昨日宿泊した先が仙台の長命ヶ丘という場所なので、北から南へ朝から結構な距離を移動。目的は卸町の道路使用と海鞘である。8日の夜に海鞘が食べられないのではと言っていた監督だったがご覧の通り。1000個落ちて来ようがもう大丈夫。
そこから東北工業大学長町キャンパスに。ここは2011年に映画祭で制作の『311明日』という映画の編集を引き受けてくれた猿渡先生のいる大学である。真利子監督がうねった道路や坂道を探していたので、ちょっと高いところにある大学を取り囲む道はどうだろうか、そして大きな駐車場と言うト書にももってこいではないだろうかと思い、予め先生に連絡して、この日いろいろ見せていただいた。夜の報告だと使えそうだという事だったので、先生に感謝である。
この報告時に、以前志子田勇監督が陸前高田で撮影した『測量技師たち』を手伝った高野さんも含め、海鞘の調達やら、機材の話をした。この日あった子どもさんの事も含めまだまだ課題は山積みのままである。
10日は多賀城市でもう一人の子どもさんとご対面。
積極的に出たいというお子さんは少なく、ちょっと頭が痛い。別れ際に真利子監督と話をしたのだが、規模がかなり大きくなってきているなあと思った。
場所にしても距離にしても、移動の幅が結構大きいのと、かなりの人出が必要だ。2日間での撮影、滞りなく行けるものかと、またしても胃腸が痛くなった。
そして肝心の海鞘1000個問題。まずはこれを解決しないとなあと思った。
※写真は卸町と東北工業大学長町キャンパス、お隣は猿渡先生。

第一稿脚本
06 真利子組始動!
2013年8月9日 / お知らせ

8月8日夜に真利子哲也監督を囲んで映画祭スタッフとFCの方々とで、撮影場所等の話し合いをした。
以前行った化女沼ではなく完全仙台ロケである。(ちなみに化女沼は別作品で撮影を行いたいと話していた。これはうれしいね!)
脚本は映画祭でもお世話になっている、脚本家で監督で俳優でもある仙台出身の守屋文雄さん。内容をみると、かなり大掛かりになりそうだ。
本日9日、私は仕事のため、映画祭委員長が車でまわってくれる事になった。 昨日の打ち合わせで9日のロケハンは、卸町付近では、道路と「杜の市場」で海鞘の下見、東北工業大学長町キャンパス付近、五橋の宮城子ども・おやこ劇場訪問と委員長の知り合いの子どもさんとの話し合い等を行う予定だ。
ロケ先や出演者、少し危ぶまれていた車の事等はFCさんの協力でちょっと明るい気配が見えてきたが、メインで必要な「海鞘」が危ぶまれている。
海鞘の時期は7月から8月中旬くらいで、市場からはそろそろその姿が減る時期になってきた。
ちなみに真利子監督の撮影は9月13日から16日と決定した。
おそらくもう海鞘はしょぼしょぼ時期ではないだろうかと。これはまずい。
どこかでカラっからな海鞘の殻はなかろうか。あるいは代用品でそれらしく見えるものはないだろうか。しかも監督曰く1,000個くらい!
ゴムボールでは弾んじゃうし、あんまり重いものだと車を傷つけてしまう。 とにかく冷凍してでも良いからアップで写す分の海鞘だけでも確保しないと、と考えていたら朝の4時になっていた。
仕事が終わったら、二人と合流。海鞘でもつまみながら今日の成果を聞こうと思っている。
※写真は昨日の夜に届いた第一稿脚本、まだ仮のタイトルです。

第一稿脚本
05 今週から来週の動き
2013年8月7日 / お知らせ

8月8~10日
真利子哲也監督の二度目のロケハンがあります。
いろいろ準備が必要で、お心当たりのある人はぜひ情報を!
○小学生の男の子(8歳前後)
写真があれば嬉しいですが、9日の真利子監督と会えるとなお良い。
スピードと暗闇が怖くなく、海鞘とか生ものも平気な子(食べる訳ではありませんよ)
○ちょっと傷がついても良いよという車のあて(廃車寸前とか)
○病院と新生児とその母など

8月12日
入江悠監督の初のロケハンがあります。
場所等はまだ決まっていませんが、仙台の街で無くなってしまう場所。
それが実に惜しまれるところを求めています。
東北大農学部かなあと思うのですが、農学部の先生にお知り合いのいる方、情報をください。
この日は車で移動の予定です。お盆の期間中仙台ってどうなのだろうか。

04 冨永監督 奇跡のロケハン終了
2013年8月7日 / お知らせ

8月5日、13時から20時まで冨永監督のロケハンが行われた。同行者はFCの板橋さん。この日は仙台七夕の前夜祭で花火大会が行われることもあって浴衣の女子がやたら多かった。普段仕事で会社勤めの自分は、平日こんなに人が歩いていることにびっくりした。すごいなあ。
さて、では、まずは壱弐参(いろは)横町から。ここは様々な小さいお店が列をなしているところで、路地の撮影にはいい感じだ。事務局の加藤さんや理事長の荒井さんとお話をして快諾をいただく。教えてもらったビルの上から見渡す横丁の全貌は、仙台の人もあまり見たことがないかなと思うほど不思議なたたずまいだった。
2カ所目は、私の行きつけの「のんびり酒場ニコル」。この店の佇まいが好きで、もし可能であればと国分町の花火が始まる前の忙しい中、店の中をのぞかせてもらった。天井も高く間口も広いので撮影にはもってこいと気に入ってもらった。お店のご主人も協力的でありがたい。すごく良いキャラなので出てもらいたいなという話も、どうなるかな。
3カ所目は仙台ではかなり有名な「おでん三吉」。ここはいままでもいろいろロケに使われているのでご店主は快いお返事。冨永監督も嬉しそうだった。
最後のバーに行く前に国分町を歩く。仙台の場合道路使用料が1日につき7,000円掛かる。冨永監督が言うに、これが結構な金額なのだと言う。自治体によって金額が違うらしいのだが、仙台は結構高い部類のようだ。
三吉での交渉後、板橋さんは別仕事ということでお別れ。
入れ替わりというか次のBARには紹介者でメディアテーク小川さんが同行となった。国分町グランパレビルにある「Road(みち)」はご家族3代でのお店でこの場所に来て35年という老舗とも言えるBARだ。カウンターも長く見晴らしもよい。二郷さん親子も偽MAKIDAIさんも皆素敵な方たちで、出演含めロケの話にはみなさん乗り気でありがたかった。ここも交渉が成立。
本日はとんとんとお店が決まった。奇跡のような、ロケハンだった。
そういえば、花火の前に降っていた雨も、ちょうど開始時間にはあがっていた。
何となく運のいい日だったのかもしれない。
余談ながら帰りの新幹線前に来てもらったCOMBOPIANO渡邊琢磨さんの出演も決定。ややびびる渡邊さんを肴に乾杯で幕を閉じたのだった。
冨永監督ロケは8月25日~27日の3日間!
スケジュールは事前に発表の予定。興味のある方はぜひ観に来てみてください。
※写真のお店は「のんびり酒場ニコル」「おでん三吉」「Bar Road」
なぜか最後はこの2人になりました。

冨永監督ロケハン1
冨永監督ロケハン2
冨永監督ロケハン3
冨永監督ロケハン4
03 冨永昌敬監督の電話はいつも映画を観ている時に。
2013年7月31日 / お知らせ

28日朝、無事に東京に戻ったという真利子監督の報告を受け、この日は先に予定していた山形国際後キュメンタリー映画祭のプレ上映会「小川紳介 山形を穫る」という小川紳介監督の特集上映を山形に見にいった。
1本目が終わったところで携帯を見てみたら、冨永監督からの着信があった。
そういえばこの間冨永監督から電話をもらった時も丁度映画の終わった時だった。(あのときは『戦争と一人の女』の終演直後で、さていまから永瀬正敏さんのサイン会という時で、永瀬さんを前にあたふたしてしまったのだった。)
8月5日に日帰りでロケハンに来るという話と、今回の冨永監督の話に合わせていくつか仙台でロケの出来る店を探してほしいとの内容だった。
5日といえば、仙台七夕の前夜祭19時からは花火大会があるということを、電話を切ってから思い出した。なかなかハードな感じになりそうである。
今からいくつか店を考えておかなくてはと、次の映画の始まる1時間の間に、無駄な抵抗を承知で考えてみた。カフェなら中心部に近いところが浮かぶが、私の行く飲み屋さんは、国分町ではなくちょっと外れにある店が多く微妙な感じだ。この短い間に数件目星を付けなければ。しかも当日は19時前までにだ。
頭がぐるぐるしてきた。またしても弱っちい自分が出てきた。いかんぞ!!!

02 真利子哲也監督、ロケハンは突然に
2013年7月31日 / お知らせ

(01はご挨拶でしたのでデスマス調でしたが、02からは日記に記入する感じで行きます)
7月25日、仕事を終えて、着信が来ていた真利子監督の電話に返信してみたところ、26日夜にから28日の朝まで仙台に来て細かいことを詰めたいとの話になった。「えええええ明日!!!!」急いで関係者に連絡した。
電話での話では、当初仙台港を考えていた企画がどうも白紙になってしまったようである。機材や仙台スタッフとのやり取りなどは詰めて話せばいいかと思うのだが、脚本もない中、仙台のどこを見て歩けばいいのか、戸惑いながら明日夜に備えなくてはならなくなった。
おでん屋さんで夕飯を食べながらあれやこれやシミュレーション、車の手配などを行う。どうにも落ち着かなくなる。
あれほど楽しみにしていたお店のおでんが味気ない。すごくおいしいのに味わっていない。少し胃にきた。弱っちい自分を嘆く。
7月27日、22時過ぎに広瀬通で真利子監督と再会。変わってないというか、少し痩せたかなと思った。前日まで松山で作業をしていたとのこと。忙しい間を縫っての仙台はまだ梅雨明けしておらず、真利子監督には寒かったのではないだろうか。
遅い時間にも関わらず、日野委員長、スタッフの渡辺さん、そしてせんだい・宮城フィルムコミッションの早坂さんまで来てくれた。
自分は今日のことで、あまり眠れておらず、みんなで入った居酒屋でほとんど食欲がわかなかったが、とにかく明日の段取りをたてる。この日は委員長の家に泊まってもらって、明日昼に合流することを決めて真利子監督をひとまず見送った。
7月29日、日野委員長にメールをしたところ、あの後真利子監督は松山とのやり取りや、いろいろロケ地を見繕っていたのだという。それが朝4時くらいまでかかり、真利子監督が起きたのは10時頃とのこと。なかなかイメージがつかめないようで、「廃屋」を見ていたらしい。仙台で「廃屋」はあまりないだろうなあ。
12時、機材の確認に、前日連絡していたメディアテークに足を運ぶ。カメラの他、ガンマイクやピンマイクの機種を確認。使えそうな感じだ。
白紙状態の真利子監督が「廃屋」を見ていた中で「化女沼レジャーランド」の写真が引っかかっているらしかった。その写真というのは観覧車の写真である。『同じ空の下、それぞれの夜』の中で真利子監督のマレーシア編『FUN FAIR』の中にも観覧車が出てきた。子供と観覧車が、真利子監督の中で何らかの物語を紡いでいるようにも思えた。「化女沼レジャーランド」は仙台市から少し行った大崎市というところにある。
脚本があがってくれば、また違う場所になることも十分考えられ、勿論仙台市でのロケ場所は絶対入れてもらうことにして、まず気になるところに行ってみようということになった。
仙台から車で約40分「化女沼レジャーランド」に到着。味わい深い風景が広がる。どうも私有地らしく、立ち入り禁止の看板がそびえる。先には進めない長い道がなかなか魅力的な場所だった。真利子監督のテンションが少しあがってきた中、観覧者を捜して反対側に車で回ってみた。ダムの反対側、夏草が鬱蒼と生えている中にそれはあった。結構大きい。そして見事に錆びている。真利子監督のキラキラが増した。なんか仙台に来てやっと今日、真利子監督のうれしそうな顔を見たような気がした。
これをロケハンと呼んでいいものだろうかと思いつつも、真利子監督の中で何かが見えてくれたのであれば今回はいいかなとも思えた。
それにしても脚本はどんなものがあがってくるのだろうか。
真利子監督が脚本を依頼したのは監督で脚本家で俳優、仙台主出身の守屋文雄さんだ。この二人がどんな物語を作り上げるのだろうか。その方向は今月末には決まるはず。その物語を持って真利子監督は8月初旬、再び仙台に来る予定だ。

PS
化女沼の車の中で入江悠監督から場所の資料についてのメールが来た。
入江監督も動き出した様である。
※写真は真利子監督と化女沼の観覧車。もちろん立ち入り禁止区域内には入っていませんよ。

真利子監督ロケハン1
真利子監督ロケハン2
01 映画制作をするのですよ!
2013年7月4日 / お知らせ

昨年、2012年映画祭のプログラムを決めていく中で「映画制作」はやらなくてはならないことの一つでしたが、「継続」というテーマを掲げたにもかかわらず、「何の」「どんな」映画づくりが良いのかを何か決めかねて踏み込むことができませんでした(多分ちょっと覚悟のなさがあったのです)。
2013年春に、せんだい・宮城フィルムコミッション(以下FC)の方から、FC10周年で映画制作のようなことはできないだろうかという相談をいただきました。それをきっかけに今年こそ制作をやらねばという気持ちが映画祭スタッフの中でも広がりました。
震災後様々な映像が撮られ記録されていく中で、この後の街の風景はどう変化していくのだろうか、今ここにある風景もまた明日にはなくなってしまうものかもしれないと考えるようになりました。
震災直後の風景はたくさんの人や機関が残していますが、改めて「今当たり前のようにある、日常の風景」を残すことがフィクションという映画を使って、映画祭ができることなのではないだろうかと思いました。
今回制作のことで相談していたある監督と今村昌平監督の『赤い殺意』という仙台で撮られた作品の話になりました。「仙台の街の映画」を考えていた時に、なぜかお互いほぼ同時にこの映画のことを考えていました。もちろん監督も私もこの作品が撮られた1964年の仙台の風景を直接は知りません。でも、当時の仙台駅や通りの風景は、見たこともないのにどこか懐かしかったりする。映画に焼き付けられた息づかいや空気も手伝ってか、映画ってそういう不思議な記憶を呼び起こすものだというやり取りがあって、もう制作を行うということで迷うことはなくなりました。
今回3人の監督は、有名な観光地や建築物というよりは、私たちの日常通る道やなじみの場所を使って作品をつくります。仙台の街が映っている映画を撮ってもらいます。
私たちが何気なく、普段は全く気にも止めず過ごしている「今の街の風景」が実はかけがえのないものとなって、何十年後かの仙台の「震災後の新しい街の記憶」になっていけたらなあと思うのです。
※画像は20部ばかし急遽つくった幻の告知チラシ。

映画製作チラシ
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