地中海と日記
「できることなら、カメラを投げ捨てたかった」
地中海と日記とかいう題名にしたのですから、当然二回目も「イスラエル」から送るのだろうと思っていた方々、申し訳ありません、今日本です。
しかも島根にいます。

ある自主映画の撮影で島根県に来ているのです。

それはそうと、二回目を日本で書くことになるなら、「地中海と日記」とか、格好つけた題名にしなければ良かった…

ともかく、イスラエルからなんとか帰国いたしました。
純粋な観光日を1日も取ることもできず、ただただカメラを回す日々でございました。気がつけば回したテープは30本以上。
1日4時間近く回していた計算になります。

ある時「俺、イスラエルに来たのに、ファインダーしか覗いてないんじゃないか」と思って愕然としました。
だからと言ってRECボタンを押すのを辞めることはできないんですね、カメラが手元にある限りは。
これはある意味病気でしょうね、無類のRECボタン好き。
ファインダーオタク。
夕陽マニア。
正直言うとですね、できることなら「カメラ、投げ捨てたかった」のです。
車窓から風景を撮ることが圧倒的に多かったのですが、車からファインダーを覗く度、何度もカメラを落とそうかと思いました。
事故だと思えば「撮りたい自分」が諦めてくれるんじゃないかと。
終いには「イスラエルまで来て何やってんだろ?」
と、根本的な目的さえ疑いはじめる始末でした。
だから、カメラのバッテリーが切れた時が、もっとも晴々とした気持ちになりました。そのときこそようやくあきらめがつきます。
純粋に、景色を見ることができますからね。
でも、バッテリーを用意しすぎたのが失敗でした。
充電が切れたのは、最終日1日だけでしたから。

ご存じかと思いますが、イスラエル国内には「パレスチナ自治区」という、パレスチナ人を実質的に幽閉している地区があります。
自治区は「アパルトヘイト・ウォール」(分離壁)という壁で、周囲を覆われています。
ある日、ベツレヘムというキリスト生誕の協会がある地域に行った時、その「分離壁」を間近で撮影することができました。
高さ7.5メートル、幅三百キロ以上にも及ぶその姿、また色々な思いが綴られた落書きや絵画、イスラエル滞在中に人々から聞いた占領に関する悲劇…
それらが、分離壁を目にした途端にドーンと襲って来ました。
僕は、何かに引き寄せられるように分離壁に沿って歩きながら、狂ったようにカメラを回しました。
二十メートルぐらい進んだ辺りでしょうか、突然、大声で、一緒にベツレヘムに行った友人が僕を呼んだのです。
「岸さん、岸さん、なんか、あと五メートル行ったら撃たれるそうですよ!!」

夢中になっていたので気がつきませんでしたが、僕の五メートル先には、確かに今まで描かれていた文字や絵が、突然無くなっていました。
危なかった。
なんでもそこでは数人撃たれているらしいのです。
しかもカメラのファインダーを覗いたままの状態ですから、ライフルで僕を狙っていたかも知れないイスラエルの兵士は、僕が日本人であるとは識別できなかったでしょう。
そのことを、親切なタクシーの運転手の方が、友人に伝えてくれたのです。
タクシーの運転手は「友達が撃たれるぞ!止めろ!」と言ったそうです。

それはほんの一部ですが、
イスラエルではいろんなことがありました。
全てをお伝えすることができないのが残念ですが…
沢山の人にお世話になり、ある時は迷惑をかけ、助けられ、結果、とても良い映像を取ることができました。
肝心の映像ですが、来る九月二一日から始まる「ニュータウン入口」という、
遊園地再生事業団のお芝居の中で流れます。
もし、興味がある方は観てみてくださいませ。
2007年9月1日
「序文」
地中海って、なんだか変な響きですね。

じゃ、何故地中海なのかというと…
何の因果か、今僕はイスラエルのテルアベブにいるからなのです。

しかし、こうした序文じみた案内が必要になるという時点で、これは果たして日記なのか?という至極当然の疑問が生まれて来ます。
いや、この日記の舞台が「新宿」とかであればこんな序文は全く要りません。
共通認識としての「新宿」という名称が持つ有名性が、面倒くさい説明を省いてくれるからです。
できることなら「新宿のドン・キホーテで」とかいう文章から始めたかった。
でも、海外にいるのですからこんな始まりになってしまうのはいた仕方がありません。
ご容赦下さい。
そんなんだから、このブログの題名も「地中海と日記」とかいう風に、セパレートしないとなんだか落ち着かないのです。
このブログを書くことで教えられたことがあります。
それは、ほんの数年前にはウソみたいなことが、普通に実現しているのだということです。何故かって僕は本当にイスラエル国のテルアビブという、地中海が覗ける日本との時差7時間もある僻地に、実際でこのメールを書いているのですから。
インターネットが可能にした速度は物理的な距離を忘瞬時に無効化してしまいます。そして、恐らくはその凄さを、普段の僕達は完全に受け入れている。
実際、日本にいながらにして海外のサイトを見ていた僕も、それを全く疑うことなく当然のこととしていたように思います。
でも何か。釈然としないのです。
こちらに着いて幾人かにメールを送ったのですが、その全員が「なんか不思議だね」というようなことを書いて来ました。
あ、でもこのブログを読んでいるみなさんは、勿論僕のことをご存知ないですね、僕は岸建太朗と申します。映画とか作ったり、役者やったりしながら色々やっている日本人です。
今日本人と書いたのは、海外に来ると初めて自分は日本人なんだ、って、変に納得することがあるじゃないですか。あの感覚です。あの感覚のままに、日本では殆ど使ったことのない「日本人」と書きました。
しつこいようですが、とにかく、僕はイスラエル国内のテルアビブでこのブログを書いています。
でも残念なことに、誰も証明できる人がいやしないのです。
そういうウソじゃないぞ!っていう「証明書」として、人は写真をブログにアップしたりするのでしょう。
でも残念ながら、僕はデジカメをイスラエルに持ってくるのを忘れてしまいました。

ここに来ての率直な感想というのは…
「いい顔の百科事典のような」
です。
本当にとにかくいい顔の人が多いです。
ユダヤ人は哲学者とか数学者とか学者系の人が多いのは誰でも知っていると思いますが、みんな一癖二癖ある顔してらっしゃるのです。
顔見てるだけで丸一日ボーッとしていられるような。
これからビデオカメラ片手に各地を回る予定なのですが、人を撮って来るだけでも相当な財産になりそうです。
ちなみに今からエルサレムに行きます。
嘆きの壁とか、パレスチナ難民キャンプとか、ヨルダン川とか普通に回って来る予定ですが、この国が抱える宗教上の、また政治上の問題は計り知れないものがありますね。

子どもっがやたらと多いことにもびっくりしたのですが、「家族を大事にする」とか「結婚して子どもを作る」ということも、「明日死ぬかも知れない」ということを誰しもが抱えているから(ちなみに女性の兵役があるのはイスラエルだけです)なのかも知れないとか、勝手に想像しました。
昨日はビーチでずっと人を見ていたのですが…
曲がりなりにも映画を撮ろうなどとしてしまっている無法者からすると、そんな現実を最初から抱えて生きている人達に、一体何か表現できるものがあるのか?
ということを考えて「うーん」と唸ってしまいます。
イスラエルは爆弾テロ事件で粉々になったビルの横に、普通に営業しているカフェがあるような国なのです。
家族の安寧を願う良きお父さんの裏側には「パレスチナ自治区」とか、数千年前から続く宗教同士の対立とか、そうした知識の乏しい僕などには及びもつかない問題や秘密が沢山あるような国なのです。
ああ、やっかいだ。
昨日は初日でしたが、ずっとそんなことを考えておりました。
この旅を通じて、ちょっとでも拾えるものがあればと思います。

僕が撮影した映像は、9月21日から行われる遊園地再生事業団のお芝居「ニュータウン入口」
の劇中映像として使用されます。

そんなこんなで、では、また書きます。
できればイスラエル国内で書ければと思ってます。

あ、ちょっと宣伝ですが、僕の監督したネットドラマ「さよならの請求書」というドラマが、現在CMサイトというところで配信されています。
皆さん、良かったらご覧下さいませ!
2007年8月8日
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