Talk About NAOMI KAWASE
今年度カンヌ映画祭でグランプリを受賞した河瀬直美監督は、この大きな到達点に達するまで十年以上も様々な映画撮り続けてきました。当映画祭では、この長い期間に渡る河瀬監督の活動に関して様々な形で映画に関わる人から貴重な言葉を集めました。様々な視点から見た河瀬監督像により、彼女の多様な魅力が浮き彫りになってくると思います。連載は隔週ごとに更新予定です。
4. 茂木正男(シネマテークたかさき総支配人)
記憶を頼りに振り返ってみると、第9回高崎映画祭(1995年)の「若手監督たちの現在」で河瀬監督の2作品を上映することとなった。8ミリフィルムの手配や舞台挨拶へのお願いのために彼女の自宅まで連絡を重ねた。映画祭事務局からの電話の先に出てくるのは必ず彼女のおばあちゃんだった。直接にお話しできるまで何回も電話するうちにおばあちゃんとの会話の時間が長くなっていった。12年後、今年のカンヌに出演者たちと一緒に出かけたと聞いて思わず懐かしさが湧いて来た。
4月始め河瀬監督から電話が入った。新作が出来たので東京まで観に来て欲しいと柔らかな関西弁で伝えられた。新作『殯の森』は、河瀬監督らしい静謐で奥深い映画でした。その場で大阪での上映後に高崎で公開することとなり彼女は、次回作の下見のためにタイへ飛んだ。別れ際にこんなことを言っていた。8ミリ映画を始めたときから自主制作・自主上映でやってきたことに立ち返りたい。今回はそのスタイルを最後まで貫きたいと、、、。自らの生い立ちと父母家族そして、常に自分をじっくりと見つめながら、生まれ育った奈良の街と自然を背景に描き続けて来た河瀬作品がカンヌ映画祭で大きな賞を獲得した。
作りたい作品があり、観て欲しい人がいて、そこへ丁寧に届ける作業がシネマテークたかさきの仕事のひとつだとしたら『河瀬監督作品』をそうして観て欲しいと思う。
2007年9月20日
茂木正男/Masao Mogi
1987年、第1回高崎映画祭事務局長
2007年、第21回高崎映画祭事務局代表
シネマテークたかさき総支配人
全国コミュニティシネマ支援センター副委員長
NPO法人たかさきコミュニティシネマ代表理事
3. 阿部宏慈(山形大学人文学部教授)
見ることと触れることと~河瀬直美讃~

『かたつもり』の感動的な一場面。台所の窓をそっと開けて、外の“おばあちゃん”を網戸越しに撮影する河瀬が、不意に手を伸ばし、網戸ごしの“おばあちゃん”の姿を撫でる。と思うと、外に出たキャメラは、日盛りの路上で豆をもぐ“おばあちゃん”に接近し、大写しになったその頬を指で増える。
それは撮影することと、対象に触れることが一体化する希有の瞬間だ。「直美ちゃんは、おばあちゃんのこと、好きですか?」と“おばあちゃん”はたずねる。
しかし、指で触れうるところにある「十分に幸せ」だと思われる生の皮膜の彼方には、触れようとしても触れえないものがある。触れてはならないもの。たとえば自らの過去。触れようとすればたちまち、「あんた感じ悪いやないの」と突き放されるような過去(『につつまれて』)。
河瀬の作品は、この触れがたい何ものかへの欲望に貫かれている。たとえば『萌の朱雀』における伯母への想い、従兄への愛のように。それはまた、しばしば物語の空白、謎として提出される。母に見捨てられた少女期の悲しみ。消えた兄の記憶。それらに触れることはできないし、また触れるべきでもない。しかし、触れることなしに、傷がいやされることはない。そこに、「過去を探している直美は何なんやろ」と自問しつつも、過去をたずね歩く作家が生まれる。
だからこそ、離すべきでなかったふたつの手がふたたび結ばれあう場面が、『殯の森』のクライマックスを構成するだろう。
そのような主題化を待つまでもない。河瀬のキャメラによって写し出される対象は、時には物語という枠組みさえも超え、等しくいとおしくも親しい存在となりかわる。枯れ葉の下のみみず、激しく斧を打ち込まれる杉、かげりを帯びた雲、クモの糸にとらわれた蛾。そして、何よりも、今まさにこの世に生まれでて来た新しい生命、最もいとおしむべき生命は、誰よりも作家=母親のキャメラ=視線によって愛撫されなければならないのだ。
2007年8月18日
阿部宏慈/Koji Abe
仙台市生まれ。山形大学で映像論、表象文化論などを講義。山形国際ドキュメンタリー映画祭を、前半10年ぐらいは観客として、ここ10年ぐらいはボランティア・スタッフとして楽しむ。山形新聞に月に一本弱のペースで映画に関するエッセーを執筆中。
2. 浅野藤子(山形ドキュメンタリー映画祭元スタッフ)
1993年、知人からなかなか良い作品を作っている若い監督がいると聞いた。

そして山形国際ドキュメンタリー映画祭’95の授賞式。ショートカットのあどけない顔をした女性監督が奨励賞とFIPRESCI特別賞をダブル受賞。壇上にいた中国の監督と固い握手を交わした人は河瀬直美監督。その姿が2年前の話と一致した瞬間だった。

それからさらに2年後。彼女はカンヌ国際映画祭’97において最年少で新人賞を受賞、その直後の10月、山形映画祭コンペティション部門で『杣人物語』を上映。髪が以前より長くなり、自信に満ちあふれた姿が印象的だった。

以降、河瀬監督は山形映画祭へたびたび参加している。アジアプログラム審査員、河瀬さん自身も親交の深いスイス・ニヨン国際ドキュメンタリー映画祭との共同プログラム「私映画から見えるもの」の作品監督として。その時は息子光祈くん同席で観客との質疑応答もこなした。

そして、今年。再びカンヌで受賞。テレビから見える彼女の姿は堂々とし、一人の監督、女性、母親としてますます輝いていく。

今年は偶然にも1997年と同様に、カンヌ受賞後に再び山形映画祭で新作ドキュメンタリー映画『垂乳女(たらちめ)』が上映される予定だ。

1995年の衝撃的な国際デビューから12年。
1989年から始まり10 回を数えるこの映画祭で、半数以上作品と共に参加している監督は彼女ひとりだけではないだろうか。
山形映画祭変遷のなかスタッフの一員であった私は、河瀬監督の成長やプライベートも垣間見つめ続けてきた。喜怒哀楽を臆する事なく表現し、自分に正直に向き合い続けている河瀬ワールド。これからも私たちに新たな作品を披露し続けて欲しい。
2007年8月6日
浅野藤子/Hujiko Asano
山形市の高校卒業。カナダ、アメリカへ留学。高校生時に第一回山形国際ドキュメンタリー映画祭を体験する。大学卒業後、東京で就職し、山形へ帰郷。1998年から山形映画祭事務局の専従スタッフを務め、作品募集、インターナショナル・コンペティション選考員、同プログラムコーディネーター、ゲスト招聘に関する業務を担当。今年5月に株式会社チムニ-を設立する。
1. 松江哲明(ドキュメンタリー監督)
河瀬作品の真の凄さ(面白さ)はドキュメンタリー作品にあると思うのだが、未だに「あ、『萌の朱雀』っしょ?それとカンヌのモガリ…」なんて言う輩にはなんと説明すれば良いのだろうか。
未だにドキュメンタリーについて語られる時「事実」なんていうノー天気な言葉がひっつくこの日本映画界では、彼の誤解も仕方ないのだろう。とはいえ現実を素材にするからこそスリリングな河瀬ドキュメンタリーを見れば、そんな誤解は即座に消えてしまうはずだ。少なくともカットとカットの間にあるどんでん返しに気付くだけで、映画に対する意識をグン、と上げることが出来るのだから。
その面白さに気付く、絶好のチャンスである今回の特集は、シネコンしか通ったことがなく、日本映画といえば「THE MOVIE」と思ってるような「あなた」にこそ体験して欲しい。
映画観だけじゃなく、人生観さえも変えるチャンスなのだから。
2007年7月22日
松江哲明/Tetuaki Matue
77年生。99年「あんにょんキムチ」でデビュー。代表作に「カレーライスの女たち」「セキ☆ララ」等がある。今夏「童貞。をプロデュース」が池袋シネマロサにて公開。(松江哲明ブログ http://d.hatena.ne.jp/matsue/
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