黒沢清のススメ
recommend Kiyoshi Kurosawa
9月23日(日)の黒沢清監督特集をたくさんの人に観に来てほしい、黒沢監督のことをもっと知ってもらいたい、ということで「黒沢清ノススメ」を始めました。週1回ペースで様々な分野の様々な方々から様々な角度・目線で黒沢清監督をおススメしていただきます。
第9回 角田まゆみ(仙台短篇映画祭実行委員)
黒沢清監督作品に初めて出会ったのは、今から10年くらい前になる。私の周りで『CURE』旋風が巻き起こっていた。怖い映画を自らすすんで見に行くことはそれまでなかったのだが、何となくこれは見に行ったほうがよいのでは、と思い、映画館に足を運んだのだった。
私は最初「怖さ」を探していた。みんながあれだけ怖い怖いって言うのだから、よっぽど怖いのだろう。いつ来るか、いつ来るか、とドキドキしながらスクリーンを見つめていたのだが、いつの間にか私は映画の中のあるものから目が離せなくなってしまった。それはCUREの舞台である「廃屋」である。
昔はあったもの。そして今はもうないものとされている物体。
『CURE』では、廃屋から響くくぐもった声が聞こえてくるような気がしてならなかった。
「忘れようとしたってね、忘れさせないんだから。」
「なかったことにしようと思ったってね、そうはさせないんだから。」
まるで廃屋が人間であるかのようだった。いや人間というより幽霊というべきか。
そんな廃屋の怨念が、進行する映画のストーリーと交じり合い、映画がどんどん加速していく。それはそれは怖い。それはそれは面白い。「こんな映画見たことない。」
この日から私は黒沢映画に魅せられ、黒沢映画を見るたびに、「こんな映画初めて見た!」という発見に出会う。映画祭が今から楽しみだ。
2007年9月19日
第8回 伊藤洋司(中央大学准教授・パリ第三大学文学博士)
黒沢清の映画を観て、間違ってもしたり顔で「わかるよ」と言ってはならない。この言葉を口にした途端、『よろこびの渦巻』のある登場人物のように、高みにいる殺し屋から銃で撃たれてしまうかもしれないからだ。黒沢清を崇め、その教えをただ信じるというのもいけない。同じ作品で占いの言葉を信じ続ける別の男のように、警察の囮となった挙句に道端で息絶えてしまうあたりがおちだからだ。とはいえ、この監督の映画に一旦魅せられてしまったら、平静を保つのは難しい。黒沢清中毒に陥り、しまいには「地獄の味噌蔵」のなかでもだえ苦しむ羽目になりかねないのだ。
そんな最悪の事態を避けて、黒沢清の映画を適切な態度で愛せるようになるためのヒントを教えよう。『タイムスリップ』を観ることだ。これが、日本映画の「カリスマ」の中毒に対する最良の「キュア」(治療)である。
黒沢清のこの驚くべき短篇は、必要最低限の種類のショットからなり、それが同じパターンで延々と繰り返されるだけである。しかし、これが途方もなく面白い。単純な形式が生み出す限りない豊かさにただただ圧倒されてしまう。この作品の編集と演出が、黒沢清の職人的技巧の確かさをはっきりと示している。彼の映画は常に、この高度な技術に裏打ちされているのだ。
『タイムスリップ』に感動する時、人は病から癒され、黒沢清の映画の適切な愛し方を学ぶだろう。ゴダールやフライシャー、フーパーといった固有名詞が飛び交うマニアックな空間から逃れて、この単純で純粋な作品が語りかける事柄に耳を澄ませるべきなのだ。
2007年9月10日
伊藤洋司/Youji Ito
『週刊読書人』「映画時評」連載
第7回 阿部ひろみ(せんだいシネマ倶楽部)
ミーハーファンのつぶやき

黒沢清監督と初めてお会いしたのがちょうど10年前の青森、第6回なみおか映画祭。
その年の“なみおか”は、注目の日本の映画監督たちの特集が組まれ、黒沢監督の他、青山真治監督、諏訪敦彦監督などの作品が上映され、監督方がゲストとしていらしていました。
上映された黒沢監督の作品は、哀川翔主演のVシネ、復讐シリーズ。
妻を殺された元刑事が犯人を追う・・・・というもので、 当時、黒沢監督の作品はみたことがなかった私でしたが、『復讐』の中の、主人公の妻が拉致されたあとの誰もいない部屋のシーンから醸し出されるなんともいえない怖さ、殺された妻が入れられているのであろう白い布袋の不気味なたたずまい・・・・、そんな、特に怖いとは思えないシーンのはずなのに何故だか妙に、どうしても気になってしまう、存在感のある空気というか・・・・うまく言葉では表せませんが、そんなところがとても不思議で新鮮で、「凄い」と思ったのでした。その日の夜、ゲストの方たちとの交流会で監督とお話をさせていただくこともでき、以来、黒沢清監督の大ファン、と公言しているわけですが。
その後、タイムリーに仙台で黒澤監督の特集企画があり、過去の作品をみる機会も得ました。新作が公開されれば劇場にみにいき、特集記事や関連本などに目を通し、来仙の企画があれば馳せ参じ・・・・とファン道をひた走っているわりに、その作品をちゃんと理解しているかというと、実はほとんど????かもしれません。
『カリスマ』『ドッペルゲンガー』など哲学的っぽいものの理解はお手上げだし、『ニンゲン合格』は好きな作品ですが、監督の「『ケーブルホーグのバラード』へのオマージュ」というような意味の言葉を何かの記事でみつけ、「えーっ、そうなんだぁ~…???」。まわりの人たちの「今度の作品は凄かった」「黒沢監督はどんどん面白くなっていく」等々の評価の言葉に「ふむふむ」とうなずきながら、内心ちょっとアセってみたり・・・・。
こんなもんでファンといえるのかどうかわかりませんが、思うにおそらく、自分にはよくわからない不思議ワールドstrange・mysterious・marvelous…だからこそ、もっと相手を知りたい、理解したい、というような、一種レンアイの心持ちに似たものになっているのかもしれません。
それを象徴するかのような場面が、3年前の奇しくも2月14日バレンタインデー。
2003年から2004年にかけてせんだいメディアテークで開催された『蓮實重彦 映画への不実なる誘い』という連続講演に黒沢監督がゲスト出演された日。
1階のカフェで、主催者と蓮實先生と3人で歓談中の監督に、ミーハーな私はサインをもらおうと遠目に様子をうかがっていたのですが、どうしても監督に近づいていくことができない。心臓バクバクで気後れしてしまっているのです。
いいトシをして、昇降口で憧れの先輩がくるのをドキドキしながら待っている中学生のような感覚です。いまどき、中学生でもそんなことはしない、と自分でツッコミを入れながら…。
歓談中、お手洗いに立った監督に、いっしょにいた講演会スタッフの友人に背中を押され、必死で駆け寄り、なんとかサインをしていただきましたが、いまだに思い出すたび自分の不甲斐なさに赤面のエピソードです。
今年の仙台短篇映画祭は、『黒沢清ショウあるいは黒沢清解体』と銘打って、丸1日監督の貴重な短篇作品を上映するうえ、監督のトークも予定しているとか。
短篇映画には、時間の制約がある分、作り手の素の部分やベースになるものが表れてくるのではないかなぁという思いがあるので、今回の上映作品を通して、また少し、黒沢監督の不思議な頭の中を覗いてみることができ、少しでも?マークを減らすことができれば、と楽しみにしているところです。
そしてたぶん、トークショーのときには、会場の片隅で、中学生のようなオトメのまなざしで、監督のお話を熱心に聴いている私がいるのでしょう。
2007年9月1日
第6回 高野裕之(会社員/映像作家)
大学生時代自主映画製作にのめり込んでいた頃、黒沢監督が作品を講評してくれる映画美学校の撮影講習に参加したことがあります。当時(今もですが)黒沢作品の虜であったので、当然黒沢監督を一目見たいがために参加していたのですが、それでも初めて出会った人たちと論争を重ねながら5分くらいのサイレント映画を完成させました。
撮影講習の最終日、黒沢監督を迎えての上映と講評。「多忙な監督だし、講評も軽い感じで終わるのだろう」という想像はあっさりと裏切られ、黒沢監督はワンカットずつ「これは正しい、これは正しくない」と全体から細部までダメだしとアドバイスをしてくれました。製作した映画を容赦なく講評される喜びと驚き。映画を製作することも見ることも、互いの主張や意思のぶつかり合い・コミュニケーションなのだといやでも思い知らされた経験でした。

今回仙台で上映される映画はかなりマニアックでスクリーンで見るのはかなり貴重な体験になるはず。自分の映画史が変わるのは確実だ。さらには黒沢監督に質問ができるらしい。黒沢映画初体験の人、映画製作で悩んでいる人、とにかく映画を見た人は何でもいいから質問してみて下さい。
経験から言えば、黒沢監督はその語り口とは裏腹に、些細な質問にも過激に真摯に答えてくれるでしょう。もしかすると昔見た映画の印象や、これからの映画の見方が変わったりするかもしれない。それが幸福か不幸かは分からないが、そんな経験を抱えて生きるのも悪くはない。
2007年8月27日
第5回 大寺眞輔(映画批評/編集者)
学校や職場で孤立したことってあります?
クラスメイトや同僚に話しかけても、上手く気持ちを伝えることができず、微笑みかけるつもりが、なぜか笑顔が凍り付いてしまう。
相手の好意につっけんどんな対応をしてしまったり、せっかくの約束をすっぽかしてしまったり。そして、そんな自分がイヤでイヤで仕方なくなってしまったり。
でも、大丈夫。
そんなわたしたちでも大丈夫。
友達とチガウこと考えていても大丈夫。みんなと趣味やセンスがずれていても大丈夫。幽霊見えても大丈夫。幽霊になっても大丈夫。孤独でも友達いなくても、ヘンなもの見えてもヘンなもの聞こえてもヘンなものにつきまとわれてしまっても、ぜんぶぜんぶ大丈夫です。
なぜなら、わたしたちには黒沢清がいるから。黒沢清の映画を見ることができるのだから。
チガッテいようがヘンだろうがミョウだろうが、そんな自分に自信を持って生きていこう。
ヘンだからこそ、チガッテいるからこそ肯定される、そんな世界のありさまを、黒沢清はわたしたちに見せてくれたのだから。
2007年8月18日
大寺眞輔/Shinsuke Ohdera
映画批評/編集者/早稲田大学教育学部講師/横浜日仏学院シネクラブ
http://dravida.udn.ne.jp/
第4回 小川直人(せんだいメディアテーク)
あの日の黒沢清

黒沢監督とはじめてお会いしたのは、2004年の2月14日だった。それまでもイベント会場でやや距離をおいてその姿を眺めることはあったけれども、直に話をしたのはその日が初めてである。もちろん、それが愛おしい異性との出会いにまつわる日であったことは単なる偶然にすぎない。
その日は、せんだいメディアテークでの連続講義「蓮實重彦 映画への不実なる誘い」の最終回で、黒沢監督は蓮實さんとともに仙台を訪れたのであった。
対談が始まる前の少しの時間、私たちは建物のなかを見て回った。蓮實先生が「黒沢さん、ここで一本映画を撮ってみてはどうですか?」と冗談とも本気ともつかない水を差し向けると、「ここで銃撃シーンなんて撮ってみたいですね。このガラスを一面バーンと……」と監督。
さて、名監督と名インタビュアーによる対談が盛況のうちに終わったことはいうまでもない(それについてここでは割愛する)。控室にもどり、私の上司たちもまじえて雑談になるなか、蓮實さんが再びの冗談あるいは本気で「黒沢監督にここで映画を撮ってもらいましょうよ」、それに乗って監督もまた「そうですね、ガラスをバーンと……」。かすかに顔が引きつる上司を見ながら「まあ、1枚くらいなら割ってもなんとかなりますよね。」とまるで無責任なあいづちを打ってみたものの、残念ながら映画製作の話はそれ以上進まなかった。
しかし、たとえ冗談でも、ガラス1枚ですむなら自分でなんとかしてでも(とはいえ、メディアテークのガラス1枚がいくらするものなのか考えると、薄給でなんとかなるものではない)映画を撮ってもらいたいと思った私は、帰りのタクシーで「ガラス1枚くらいなら私がなんとか……」と持ちかけてみた。すると黒沢監督は「いやあ、ガラスを割るのは冗談ですよ。今はCGとかありますからね、大丈夫。」と笑いながら答えてくれたのだった。
2007年8月11日
第3回 樋口泰人
(映画評論家/boid主宰 http://www.boid-s.com/)
黒沢清の映画には映画のすべてがある。大げさかもしれないが、まずはそう宣言してみよう。それから、どれでもいい、黒沢映画1本と、あとはランダムに自分の好きな映画を数本用意して、まずは黒沢映画を見て、それからその他の数本を続けて見てみる。時間はかかるが、丸1日つぶすつもりでやってみてほしい。するとおそらく誰もが驚くはずだ。とにかくその後に見たどの映画も、最初に見た黒沢映画の変奏のように見えてくるのである。
嘘だと思われるかもしれない。あるいは、どの映画にだってそれまでの映画の歴史が詰め込まれているわけで、それらのつながりを見ていったらきりがないと思われるかもしれない。
しかしそうではない。すべてが最初に見た黒沢映画の中にあるのだ。ためしに他の映画を最初に見て、それから何本かの映画を続けて見てみるといい。黒沢映画を最初に見たときとはまったく違う、ばらけた印象しか残らないはずだ。つまり黒沢映画の中には、その後に何を見ても、それらの映画をある歴史の広がりの中に位置づけてしまう強靭な視界が広がっているのである。そしてもちろん、個々の黒沢映画もまた、その強靭な視界の中の一つ一つの風景でもある。自身さえ自身の中の一風景にしてしまうというねじれたフィードバックの強さに、私たちは常に唖然とするばかりである。
ちなみに以前私が選んだ映画は、まず最初に短編「ココロ、オドル。」、それから「クンドゥン」「ストレート・トゥ・ヘル」「デッドマン」「イヤー・オブ・ザ・ホース」であった。
2007年8月6日
第2回 熊谷順子
(せんだいシネマバザール/仙台短篇映画祭実行委員)
「いまや、クロサワといえばアキラではない。キヨシだ」
フランスでの人気ぶりを報じた新聞記事。それが、黒沢清監督を意識し始めるきっかけだった。(ちなみに、当時は大まじめに「アキラとキヨシは親子ではない…」という注釈も付されていた。もしかすると、国内でさえ必要だったかもしれない。)その頃の私は、時間はあってもお金がなく、実際に黒沢作品を知るようになるには数年を要した。「キュア」は指をくわえて通り過ぎ、「大いなる幻影」にやっと滑り込み、「カリスマ」の頃には(多少の)お金はあっても時間がない、という状態に至った…ように記憶している。
…しかし。本当の意味で黒沢作品に出会い、魂を抜かれる思いをするには、さらに一年余を要した。舞台は仙台。セントラル劇場での三池崇×黒沢清特集だった。(ちなみに、その頃の仙台駅周辺には東宝系・松竹系劇場が看板を連ねており、今ではパチンコ&エステに占拠されたビルの地下劇場で、「回路」がメジャー公開されたと記憶している。)

セントラルで出会ったのは、「蛇の道」と「蜘蛛の瞳」。特に、「独立少年合唱団」で注目され始めていた香川照之主演の「蛇の道」は強烈だった。
なんなんだ、これは…
突然囚われた男と共に、いきなり地獄に付き落とされたかのように攻め立てられ、悪夢は始まった。男と観客は、戸惑う間を惜しんで、必死に糸口を探す。迷いも躊躇のかけらもない、仕掛ける側の男(香川照之)の正体とは何か。目的は何なのか…。しかし、彼とて完璧ではない。冷血な仕打ちを重ねてもなお、時に子どものように泣きじゃくり、ないものねだりをする。唯一冷静沈着であり続けるのは、黙々と数式を書き連ねる謎の男(哀川翔)。

理路整然とした歪み、物語が進むほどに遠くなる出口…。

黒沢作品は、全然スカッとしないし、一言でいえば、わけがわからない。いわゆる伏線は、そのまま打ち捨てられることさえある。すっきり説明がつくようで、どこか矛盾している。そんなこんなで余りにもヘンなのに、登場人物たちは、痛々しくけなげなほど真剣。…観客である私には、いつしか、(不謹慎にも)笑いさえこみ上げてしまう。
それでも、私は黒沢作品から離れられない。今度こそは、いや今度もまた…という綯い交ぜの気持ちを抱え、いそいそと暗闇に身を置く。

謎解きや問題解決をうっちゃっても、おもしろい映画はつくることができる。世の中は、不可解なことだらけだ。無理に分かろうと型にはめれば、失われるものはあまりに多い。単純化しようとすれば牙は抜かれ、四角い部屋は丸く掃かれる(…ん?)。「いやー、よーわかりませんねー。なんなんですかねー」という一見無責任な鷹揚さに込められた棘。きっとそこには、猛毒が塗られている。一度触れたら、たちどころに毒は全身をかけ巡るだろう。
毒をもって毒を制す…という言葉がある。不可解な現実世界を泳ぐため、黒沢作品の毒は、私になくてはならないものだ。
2007年7月29日
第1回 伊坂幸太郎(作家)
黒沢清の映画を観ると。
「映画とはこういうものだと思うんですよ」黒沢清の映画を観るといつも、そう言われている気がしてならない。強く主張するわけでも、偉そうに教え諭すようなこともなく、ただ、穏やかに微笑みつつ、「映画の快楽とはこういうものだと思います。どうでしょう」と。
黒沢清の作品の中で、暴力的なことや陰惨なことが描かれる場面がたいてい、呆気なく、しかも、遠景(ロングショット)として現われてくるのはそれが関係しているのではないかな、と想像もする。「フィルムを通じてドラマを映し出す映画とは、よくも悪くも、非情なものなのですよ」と言われている感じがする。
「知りたいか?それを知るには勇気がいるぞ」とは、「地獄の警備員」でその警備員が発する言葉だ。その意味が何であるのかは明らかにならない。もしかすると、殺人鬼自身も意味が分からずこの台詞を吐いているのかもしれない。けれど、殺人鬼が吐くのに、これほど怖い台詞はない、と思う。そしてやっぱりそこで僕は、「『中身があるかないか分からないが、ぞくぞくする』というのは映画の本質なんだよ」と黒沢清の映画に教えられた気分になるのだ。
2007年7月22日
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