真夏の夜の錯覚日記
| |
![]() |
![]() |
![]() ![]() |
9月20日さてここでは一見偉そうなのか理屈っぽいのか単なる大バカなのかわからないいつもの文体はやめて映画祭の感想を述べよう。 |
![]() |
![]() |
![]() ![]() |
8月31日ウェブショップで木製のトイピアノを注文した。外国のサイトでは安く豊富なトイピアノを見かけるものの、国外発送不可であるとか配送料が異様に高いという理由で購入を思いとどまってきた。ゆうべ国内のショップをチェックしていたら在庫整理のた
めか木製のものがたまたま低価格で放出されていたので数分の検討の後購入した。 |
![]() |
![]() |
![]() ![]() |
8月26日映画に興味を持って以来の自分は比較的頻繁に映画館に足を運ぶ部類の人種になったといえよう。映画を観たと堂々と言うときはたいてい劇場で観たという意味で、VHSやDVDの場合は「ビデオでだけど観た」という少々意識過剰で言い訳がましい表現と
なる。何に対して意識過剰で言い訳しているのかは深く考察していないが、例えばビデオで観ているうちはさほどのものではないと思っていたウォン・カーウァイ作品が、新文芸座の大スクリーンで浴びると、盛大なノイズ入りの疲弊したフィルムという悪
条件にもかかわらず、瞬時にして素直に名作に豹変する、といった魔術のような現象が起こるのは事実だ。 |
![]() |
![]() |
![]() ![]() |
8月16日今年になってマリーザ・モンチのニューアルバムが2枚もリリースされていたことに気づき、2枚とも忘れないうちにアマゾンで注文する。マリーザ・モンチといえば96年のビデオ「Barulhinho Bom」は音楽ものとしては稀にみ
る名作で、近年DVD化された。10年近い間にしつこく繰り返し観ているが、そのたびに絶望してしまう。マリーザ・モンチはブラジルの女性歌手だが、別に自分がブラジル人でないことに絶望するわけではない。スーパー16mmのフィルムで撮影されたというそのあまりにも画になる解放されたたたずまいから、全く対極にあるものを連想してしまうのだ。簡単にいうと、自分が、住宅事情の劣悪な食料も燃料も満足に自給できない
政治的にも無力な極東の小列島に生息する億を超える単一民族のひとりだと思い知らされるわけだ。この10年で閉塞感は確実に強まった。これは錯覚ではないだろう。本来のコンテンツとはおよそ無関係な個人の苛立ちや諦め、嘆きをも喚起してしまう、恐るべし「Barulhinho Bom」、やはり単なる音楽ビデオではない。人生に悲観した気力と体力の衰えた人が目にしたら自殺しかねない。危険な殺人ビデオである。 |
![]() |
![]() |
![]() ![]() |
8月7日錯覚かもしれないが最も怖ろしい漫画は水木しげるの「ベーレンホイターの女」だ。シニカルなギャグだとしても笑うには怖ろし過ぎる。魂というものが存在するとしても、それは見えないし聞こえないし触れないしにおいも味もないだろうから、通常は人を識別するのは肉体に依るしかない。オリジナルの肉体を失った人間はもはや他人だろう。肉体を失った魂はもはや人間ではない。肉体あっての人間ということだ。 |
![]() |
![]() |
![]() ![]() |
8月3日紀伊国屋書店発売のDVDがレンタルショップに並ばないのはどういうわけだろう?資産も地位もない低額納税者には想像もつかない高度に政治的なスキームが背後に存在するのだろうか?単価が高いので観たい作品があっても毎度購入を躊躇してしまう。 |
![]() |
![]() |